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コロナで亡くなった父、私を責める母

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8月に新型コロナウィルスに感染し、高齢の両親を含む家族全員にうつしてしまいました。
東京都で毎日6千人近く感染していた時期でした。
仕事をし、日々の買い物をし、特別なことはしていなかったのですが、どこかで感染してしまったのです。

父は重症化してしまいましたが、自宅待機を余儀なくされ、やっと入院先が見つかった時には覚悟をしてくださいと言われました。
今日か明日には、と言われながらも奇跡的な回復を見せてくれましたが、入院してちょうど一か月目に急変し亡くなりました。

入院の日に救急車に同乗することもできず、家の前で見送ったのが父に会った最後でした。
最期も会うことは叶わず、ナースステーションの前に家族数名が集まり、iPad越しに看取りました。

そのあとは、病棟の廊下の隅で、棺の中に顔だけ透明になっている袋に入った父と短い時間お別れをし、業者が火葬場に連れて行きました。
火葬の立ち合いも不可でした。
行政によるようですが、コロナで亡くなった場合、家族は火葬場に入れないそうです。
理由はわかりません。

自分を責め、正気でいられない日々です。
薬を飲んでもあまり眠れず、コロナ感染で7キロ痩せたままいまだに戻りません。

今朝突然「あんたがコロナを持ち込んで、あんたのせいでお父さんが亡くなったのに、なんで猫と遊んでるのよ!」とヒステリックに叫ばれました。
子供の頃から、いつも思っていることをすべて口にする母にうんざりしていましたが、さすがに最後の一線を越えたなあという冷めた気持ちで大きなため息をついたら「あーいやだ、そういうところ父親そっくりね!!最低!!」と仏壇の前で言われたので血が沸騰するほどの怒りを覚えました。

つい言ってしまったなどではなく、いつもギョッととすることを口にするのです。
極度の内弁慶なので私と亡くなった父にだけですが。
暴言という自覚もないようです。

しかしこんな母とも別居することができません。
自宅兼事務所であること、障害のある子供を育てるのに適していること、等諸々の事情があります。
もう気持ちがぐちゃぐちゃで、未来が見えません。

私のせいで一人寂しく逝った父、強い自責の念と後悔、追い打ちをかけるように私を責める母。
私はこの先どう生きていけばいいのでしょうか。

寿命が来て父に会えるまで、しっかり生きたいのです。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

最善最良の人間性「菩提心」という名の法衣をまとう

あなたがコロナウィルスを作ったわけではありません。大丈夫です。
あなたが誰かを傷つけようとしたわけでもありません。だから大丈夫です。
あなただってうつりたくないのに感染してしまった。大丈夫ですか。
あなただって被害者です。可哀そうに。大丈夫?元気出そうよ。
人類みんながコロナの被害者でしょ?
子供たちなんて友達と遊ぶことも青春もうばわれたのよ。かわいそうだよね。
大人たちだって誰もどうすることもできなかったのです。
だから何もコロナに関わっていなかった民間人、一般家庭、身内同士、家族同士で誰かを悪者にする必要なんて絶対にありません。お母さんももし誰かを悪く言いたいにしてもあなたに当たることは間違いですよ。
良識のある母親だったら子供を責めたり、誰かのせいにしたりはしないものでしょ。
「誰もその名は言わない」ですが、出所は隣国のバイオセーフティレベルの最も高いフランスと中国で開発したP4研究所だと海外でも言われています。内部文章も出回っておりますから、世界中の人が彼ら凶悪な悪意の被害者なのですよ。でなければ武漢の研究室を「破壊する必要なんて」ありません。開発者といわれる石正麗氏の行方がテニスプレイヤーのようにわからなくなることもありません。出所を隠す為に武漢だけ閉鎖して自国民を諸外国に旅行させて各地でマスクを買い占めさせていたのが隣国です。自然界が作ったものであるのであれば、武漢で感染拡大直後に人民解放軍の細菌兵器専門家陳微少佐が現地を訪れる必要もありません。現地を封鎖して世界の報道を入れれないように隠すこともありません。世界にはそういう恐ろしい悪意が「現実に」存在するのです。あなたも家族同士で傷つけあうというのは悲しいでしょう。すべての原因は人間の悪の心。だからこそ、その人間性をそれぞれ各自で高めてどんな悪意があっても身を守れるようになるべきではないかと思うのです。大切なことは傷つけあっても、誰も救われないからそれをしない。コロナを憎んでも家族同士では絶対に責め合わない。
人間は世界レベルでも進化の途中です。いくら経済的に豊かになろうが人間性が高まらなければ力にペコペコすることはあっても真実のリスペクトは生まれないのです。
これを機に菩提心をおこしてお父様も、お母様も、あなた自身をも、そしてコロナの被害者・加害者も救おう!と志す。高い精神を求めてください。発菩提心。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

丹下覚元様 ご回答ありがとうございます。
母に責められ、ネガティブ感情が一番大きいときに投稿したので、悪口のようになってしまい大変恥ずかしく思っています。

>コロナに関わっていなかった民間人、一般家庭、身内同士、家族同士で誰かを悪者にする必要なんて絶対にありません。
>コロナを憎んでも家族同士では絶対に責め合わない。

そのように言い切っていただき、ありがたくて涙が出ます。
コロナに感染したことを知った人たちは、好奇心を丸出しにし、差別のような発言もあり、以来私は人に対して壁を作るようになってしまいました。

母とはあれ以来同じ家に住みながら顔を合わせていません。
母のセリフが頭の中でずっとこだましています。
また傷つけられるのが怖いのです。

「菩提心」「発菩提心」について調べました。
菩提心は、阿耨多羅三藐三菩提心の略なのですね。
毎日般若心経を唱えながら、阿耨ーのところにくるとなぜか嬉しい気持ちになっていました。

憎しみ、恨み、妬み、罪悪感、などで満たされた私が、さとりを求めるようになるにはどうしたらいいか模索してみます。

丹下覚元様 この度は本当にありがとうございました。
気持ちが少し整理されました。
「菩提心」この言葉を心に刻みます。

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