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他人へ向けられた心ない言葉に傷つく

回答数回答 1
有り難し有り難し 8

他人へ向けられた攻撃や排斥の言葉にいちいち傷ついてしまいます。

特に産まれながらの属性(本人に選択できないもの)に対する心ない言葉が辛く、はっきりと批判するのではなくとも「そういうの好きじゃなくて避けたいひともいると思うんです」「生理的に受け付けないのはどうしようもない」などと平気で言葉にして向けてくる人を目の当たりにしてショックを受けました。
それを受けて落ち込んでいる私を励まそうとして、悪気なく「差別は永遠に無くならないし仕方がないよ」と親切心で言ってくる人もおり、余計に落ち込んでしまいました。

誰にでも差別心はあるからこそ、それを皆で学んで理性でコントロールしようとするのではないのでしょうか。
変えようのない何かの属性に対してどう思うか心の中は個人の自由でも、それを外に出したとたんにそれが誰かを深く刺す凶器になるから、鞘に納めておくのではだめなのでしょうか。
誰もが心のままに動いていいなら、私はデパ地下で惣菜を素手で掴んで貪り、電車の列にも割り込むかもしれませんが、それとどう違うのでしょうか。

私もある面ではマジョリティであり、マイノリティでもあります。
日本にいれば圧倒的マジョリティの日本人で身体健常者のシスジェンダーですが、世界に出ればアジア人で女性、英語話者でもありません。
何がマジョリティなのかは場所により変わり誰しもが両方の立場にいると思いますが、そういう言葉を平気で口にする方々は自分の属性を「気持ち悪いと避けられても仕方がないもの」扱いされた時に憤りや悲しみは感じないのでしょうか。

何々人だから、女(もしくは男)だから、体のどこが悪いから、外見、親が二人いない、何々教徒ではない、貧困層、だから嫌っても仕方がないでしょと言われても謂われなき暴力にしか感じません。
心情として受け入れるのが出来なくても、誰かの心のために口をつぐんで侮辱をやめられないのでしょうか。

私がその属性とは別だから大丈夫だろうとずけずけと耳を疑うような言葉をぶつけてくる人がいますが、当事者ほどではないにしろばっちりガッチリ傷つきます。正直道を歩いていたら通り魔に突然殴られたような気持ちで、動悸はするし辛いです。

例えそういう人が少数でも、一人にでもいざ言われると心が抉られます。
皆様はどうやって身を守られているのか教えてください。

2021年12月29日 6:46

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

周囲は変えられないが,ご自身の感性なら変えられると思います。

「どうやって身を守られているのか」について,恐らく我々は良くも悪くも鈍感なのだと思います。

ゆき様ご自身は,その繊細な感性ゆえに苦しんでおられることと思います。しかしその繊細さは,他者が持つ無意識の攻撃性を自覚させてくれる,貴重な感性でもあると思います。その繊細さを失うことなく,傷つかない様になれるといいですね。それと,ゆき様のその繊細な感性は,ご自身のこれまでのご経験に由来する部分があるかもしれません。

さて,拝読する限り,問題は以下の2つに整理できそうです。
1. 他者の持つ差異に対し,人は攻撃性を抑えられないのか?
2. 自分とは無関係な他者にその攻撃が向けられた場合でも,ゆき様は傷つく。傷つかない様に出来ないのか?

先に結論から申し上げれば,1. について,周囲の攻撃性をとめることは不可能だと思います(後で詳述します)。しかし2. については,周囲を変えるのではなく,時間はかかると思いますが,ゆき様ご自身が変わることで,傷つかない様になれると思います。具体的なやり方は精神科医などでご相談頂く方がよろしいかと思います。一応,私なりに提案しますなら,人間の様々な側面に目を向ける,特に良い面に目を向ける様にされては如何かと思います。つまり,人は他者を傷つけはするが,その逆もまた行う存在だと知ることで,ご自身の感性の変化が期待できるのではないかと思います。物事を肯定的・楽観的に捉えるのは,身体的にも精神的にもとても良いそうです。それと,なるべく優しい人たちに囲まれてください。

以下,1. について字数の限り詳述します。ゆき様のご主張は正論だと思います。しかしそれでも,人は他者への攻撃性を抑えることは不可能です。程度の差があるだけで,ゆき様も含め,我々は生きているだけで他者を傷つけています。そもそもからして我々は,食事を通じて他者から命を頂いて,つまり奪って生きています。およそ生物と呼ばれるものは,その様な生き方をしているのではないでしょうか。

また別の観点から,ゆき様のそのご主張に傷つく人がいないとも限りません。要するに,我々の方に他者を傷つける意図があろうが無かろうが,他者が勝手に傷つくことをとめることは不可能です。この様な訳で周囲の攻撃性はとめられませんが,ゆき様ご自身が変わることは可能だと思います。

2021年12月29日 18:36
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有り難し
おきもち

僧侶であり,とある国立大で仏教文献学を教える教員です。 かつて,僧侶...
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質問者からのお礼

名和隆乾さま
ご返答並びに丁寧なアドバイス、ありがとうございます。

1の攻撃性について、これは私も自分のなかにもはっきりと感じるので仰ることとても理解できます。
直接攻撃するつもりがなくても無神経だったり、私の無知から全く非のない方にぎょっとしてしまったり……。

今回相談させた頂いた内容については、2に一番可能性があるのですね。他人と違い自分の事だけは自分の意志がきっと及ぶので、これに望みをかけたいと思います。
人には色々な面があるという事、私はついいつも忘れがちです。確かに完全に邪悪なばかりの人はいないはずですし、路上生活者に冷たい人が自分の祖父母をとても大事にしていたり、その逆も見ます。
これからは誰かのその時の一面だけ切り取って深刻に捉えすぎそうになったら、教えて頂いたことを思い出してみようと思います。

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