お別れとは
祖母は、10年前に倒れその後、障害が残り一切言葉を話すことも、理解することも出来ない状態でした。会いにいくと、いつも泣いてばかり何を思ってるのか、何を伝えたいのかも聞くことが出来ないまま、今日、年が明け早々に亡くなりました。
何か、伝えたいことがあったんじゃないか、倒れる前日会話したのが最後、倒れたのを発見するまで時間が、かかってしまったことをずっと後悔しています。
もっと話をしたかった。
祖母が心残りなく、きちんと祖父の元へ行けるようどう声をかけたら良いのでしょう。
ごめんね、、しかでてきません。
まとまりなく、すみません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
“ありがとう”を教えてくれた大切な仏縁なのです。
拝読させていただきました。
この度は、御祖母様の御逝去を謹んで御悔やみ申し上げます。
1、ありがとう
2、ごめん
どちらを大切にするかといいますと「1」を選択し、「1」が心に宿り、「1」が慈悲の精神を築いていきます。
また、人は選択肢の中で「ありがとう」と「ごめん」どちらが難しいと思うでしょうか。人は“ありがとう”と言うことの方が難しいのです。
多くの方々がこちらのサイトを閲覧する中で、自分に置き換えて考えるかも知れません。
ごめんの方が簡単なようで、ありがとうと感謝をもつことの方が難しいのです。
この「あ・り・が・と・う」の五文字には、数え切れないほどの思い出が今生の別れとなるときには想いと思いが駆けめぐります。
人々にはそれぞれの思いがありますので、何を話ししたかったのかは限界はありますが、何よりも「自分らしく後ろを見ないで前へ前へ生きていきなさいよ」と言っていたのではないかと感じ入ります。
仏教では愛別離苦と申し、生者必滅・会者定離であることを痛感し、命の尊さや大切な人との死別において、さきさん自身の心に仏心である慈悲の種にひとつ芽が出たことであると感じることと思います。
私たちもいずれは逝かなければならぬ浄土であり、限られた寿命を今からでいいのです。どのようにして、先祖から繋がさせていただいている命を生かしていけば、喜んでもらえるのかが、今の供養となり孝行となっていきます。
人生を終えるときには、できることなら「ありがとう」といえる人生にしていくことが有終の美であり、色々と苦難もあった人生であったが、人生は儚く美しいと思えるように命を運んでいきましょう。
これからなのです。
人生は命を知る機縁(祖母様)こそが、教えてくれた人生の宿題であるととらえてみてください。
合掌
質問者からのお礼
お忙しいところ、大変御丁寧なお返事を頂き誠にありがとうございます。
祖母は、後年祖父の介護に追われ、一段落し自身の余生という矢先に倒れた為、今まで幸せでいてくれたのか、10年もの不自由な闘病辛く無かっただろうか、、残された者は聞けるはずの無い問いばかり巡ります。
頂いたお言葉にあるように、ごめんねよりありがとうを伝えることは簡単なようで難しいですね。
しっかりと、胸に刻みながら感謝をし見送りたいと思います。
そして、自分自身もありがとうと伝えられる人生を歩めるよう、これから前を向いて歩いていけるよう頑張って参ります。
ありがたいお言葉、感謝いたします。