不器用ですが、お坊さんになれますか?
お坊さんになりたいです。
ですが、過去に親に「ここの職ならいい」と言われて入った専門学校はいじめで中退し、「これで就職は嫌だな」と見つけて電話したドックトレーナーの施設に、寮で暮らしながら体験をした時も、掃除の見落としやストーブを勝手につけた事により怒られ、そこから泣いて実家に帰った経験があり、そこからは勇気が出ません。
お坊さんは暑く寒いのも平気でいなきゃならない、掃除も毎日というイメージから勇気を出して僧侶になれる大学や専門学校に応募でてません。
こんな不器用な人でもなれるんでしょうか?
そして、勇気を出して応募するにはどうしたらいいのでしょうか?
回答よろしくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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「不器用」であっても、「お坊さんになれ」る
こんにちは。
「不器用」であっても、「お坊さんになれ」ると思います。
私自身、「器用」な方ではありません。
むしろ、失敗が多々ありました。
宗派によって僧侶になる道筋は違いますが、「勇気を出して応募」すれば道が拓けるだろうと具体的に調べた上でのご質問かと思います。あれこれ考えすぎずに、まずはやってみるということが第一に必要だと思います。
ただ、一つ考えてほしいことがあります。
それは「暑く寒いのも平気」になるために、「掃除」を「毎日」するために「お坊さん」になるのではない、ということです。本質は、仏様の教えに心を寄せる(諸行無常等、学校で習う内容でもいいです)から「お坊さん」になるのです。丈夫な心身を手に入れたり、掃除のプロに成るのだったら既に他の適切な職があります。
また、「器用」になるため、失敗しない人生を歩むためになるのでもありません。仏様とともに、自らと向き合う、あるいは安心した人生を歩みたいために仏教徒になる、お坊さんになるのです。「器用」に生きられない苦しさを抱えた私を、ご心配くださる仏様との出会いが仏教です。
仏様の教えがこんなところが素晴らしい。
うまく言葉に成らなくとも、仏教に感動を覚えられるか。
そして、「親に」「言われて」ではなく、自分が決断した自分の生きる唯一の道だと心に決めているか。
それくらいの思いがあるのなら是非とも身を投じてください。
あなたの一生モノになるのは保証します。
質問者からのお礼
釋 悠水様
質問にお答え頂きありがとうございます。
寒さとか辛さとかではなくお坊さんのあり方をきちんと自分自身で考えてから、勇気を出して専門学校や大学を受けてみたいと思います。