他人を犠牲にして生きている
今日、不思議な夢を見ました。
母と2人でゲームセンターに行く夢です。
(子どもの頃よくゲーセンに行っていました)
母に小銭を貰います。そして、「いいな」と思う可愛い女の子のフィギュアがあるのですが、「今ここでお金は使えない」「もっとよく店内を見てからにしよう」とします。
母には欲しい景品がたくさんあり、私はそれに着いていきます。また、「ほら、ここ!お母さんの好きなグッズがあるよ!」と声をかけます。
そうしている内に、いつの間にか、自分がやりたかったことを後回しにしていて、もうやるには遅すぎることに気づきます。
私が「あのゲームで遊びたいな!」と思っていたものには、人だかりができていて、母の元に戻ってきては、母が欲しいものを得るためにサポートをしていました。
私は、自分のためにお金を使うのが怖いです。
昔、家族がみんな母のお金でゲームやパチンコなどギャンブルをしていたので、私自身、母に申し訳ないし、母にそんなことをさせたくないという思いがあります。
一年あたり学費が百万円もする私立中学に通っていましたが、一年で不登校になってしまい、学校で勉強や技術の習得をしていないのに、その後も大金を払い続けてくれた親に申し訳ないという気持ちもあります。
故に、これ以上、人に自分のことでお金を使わせたくない。自分の好きなことでさえも、お金を使うことがいやです。誰かを、母を、親を、犠牲にしているのではないかと感じます。
そして、「お金」とは、夢を叶えるための「切符」であり、「リスクを払う」ことであると思います。そのリスクに向かう意思決定ができません。
私が人生へのリスクを払って生きる(お金を使って楽しむ)ことは、誰かを、母を、踏みしめていることだと思ってしまいます。
生きることは、誰かを犠牲にしている。
そのことについて、仏教という観点から、皆様方のご意見、アドバイスいただけますと幸いです。
よろしくお願い申し上げます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自分が一番でいいよ
あいさんはじめまして
中学から不登校ということですが、現在はどんな状況なのかな?
ずっと家に居るのかな?
まず、学費のことですが、あなたが責任を感じることはありません。
お金を出すと決めたのは親御さんですから。
申し訳ないと思うのならば、これからの生き方を見せることで挽回すればいいと思います。
仏教では「いま、ここ」が大事だと説きます。
過去を悔やんでも仕方が無い
未来を憂いても仕方が無い
いま、この瞬間をどう生きるかが大事だということです。
自分を責めるのはやめてしまおう、「私は、私が一番可愛いし、私が一番大事」と宣言して良いんですよ。
その上で、今のあなたにできる精一杯の善い生き方をしなさい。
これを「報恩謝徳」(ほうおんしゃとく)といいます。
あなたがこれまでに受けた恩は、あなた自身が善く生きることでお返しすればいいんですよ。
過去を悔やむな
未来を憂うな
一所懸命に生きなさい。
質問者からのお礼
林 浩道様
ありがとうございます。
過去を悔やまず、お金を出すと決めてくれた両親の意思に感謝して、今を精いっぱい生きます。