病気を罰のように思ってしまいます
39歳2児の母です。
カルト宗教の家に産まれ、信心がないと大病を患うと脅されてきました。
今は結婚し家を離れて宗教から距離をおいていますが、後遺症を引きずっています。
癌が恐ろしく、癌になったらどうしようとそのことばかり考えてネットで検索して止まらず、病院に行く回数も人より多いと思います。
検査結果が確定して安心するまで、他のことに集中できずずっとそのことばかり考えてしまいます。
子育ての時期にそれですから、そんな私に嫌気がさしたのでしょう。夫の心が離れてしまいました。
実家でも私は異端児として寂しい思いをし、結婚しても迷惑をかけてひとりぼっちで、このまま病気を恐れながら死に近づいていくのかと絶望的な気持ちでした。
そんな中、私の話を聞いて理解してくれ、落ち着かせてくれる男性と出会いました。
その男性も埋められない心の穴を抱えており、お互いに精神的に支えにするようになっていきました。
しかし許されない関係ですし、そんなわたしを信頼して優しくしてくれる夫に強い罪悪感を感じるようになりました。
そして、いつかこの関係が露見してしまうのではないか。この家庭を無くしてしまうのではないか。わたしには罰がくだるのではないか。
その恐れでかえって心の病気が悪化してしまいました。
彼にはきちんとお話して、この関係を終わらせようと伝えました。
夫には全く感づかれずに、してはいけないことを終わらせることができました。
やはり私の1番大切なものは夫と子供たちとの幸せな暮らしなのだし、頑張ってそれを守っていこうと心に決めました。
しかしその数ヶ月後、体調を崩し病院通いが続いています。
今回は本格的に癌かもしれず、診断待ちですが不安な日々を過ごしています。
やはり許されないことをしたから癌になってしまったんだ、と考えてしまうことが辛いです。
気が狂いそうなほど怖いです。
いっそ死んでしまえば死の苦しみから解放されるのではないか、そんなことも考えてしまいます。
こんな私でも魂が救済されることはあるのでしょうか。
いつも心がひとりぼっちで寂しいです
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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「宗教」についての価値観の更新を
こんにちは。
「カルト宗教」の影響から、「信心がないと大病を患う」という思いから抜け出せない。それは、あなたが「宗教から距離」を置いたことと関連して、「病気を罰のように」受け止めてしまう苦悩の原因となっているのでしょう。その辛さを察します。
「魂が救済されることはあるの」か、というお尋ねです。
私は、「ある」と思います。
それは、仏様を拠り所にするところに「ある」ものです。
あなたは、「宗教から距離」を置いた。
では、その「カルト宗教」から心が自由になれたかというとなれなかった。幼少期から影響を受け続けた「カルト宗教」の価値観に束縛され続けている。
何年前かはわかりませんが、当初「宗教から距離」を置いて「異端児」になった時、あなたにどんな変化があったのでしょう。それは非「カルト宗教」の価値観を自分で作らなければならないという不安定な状況になった、ということです。それは一見自分が白紙に、自由になれた良いことづくめのように見えて、かつての拠り所を失った喪失状態に陥ったわけです。そして、あなたは自分なりの価値観が上手く作り出せなかったために、不本意ながら元の価値観に戻らざるをえなかった。
その人を生かす価値観は、人それぞれです。
家族が大事だから生きていける。
仕事そのもののために生きていける。
お金、名声、社会的地位の獲得が大事だから生きていける。
人を動かす原動力はみなそれぞれに違います。
あなたは、「2児の母」でありご主人が居るのだから、やはり家族が生きる原動力になっているでしょう。ただ、もう一方で同じぐらいのウェイトで「宗教」という価値観の問題が、あなたには大きな課題として残り続けている。だから、「宗教から距離」を置いただけでは本質的に解決しないのです。このため、「宗教」についての価値観の更新をすべきだと思います。
ちなみに私の親しんでいる仏教(浄土真宗)では、「信心」と「大病」に何ら相関性を認めません。「信心」は仏様と向き合う問題であり、「大病」は単純に体の不調(ウィルス、遺伝性などが原因の)の問題だからです。
私は、あなたには仏教をおすすめしたいです。
ただ、ここから先はあなたの決断次第です。
本願寺法話配信サイト
https://broadcast.hongwanji.or.jp/html/radio.html
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質問者からのお礼
心のこもったお返事を本当にありがとうございます。
おっしゃる通りで身に染みました。
私は幼少の頃はカルト宗教を信じ切っていたため、ある意味心は平穏でした。
罰が怖くて信じ込んでいた、という部分は否めませんが、これさえ信じてさえいれば間違いないのだ、大丈夫なのだという拠り所はありました。
でもたしかにそこから離れただけでは解決しませんでした。
信じ切ってきていた価値観が壊れ、その代わりのものを自分で作れたかというと全くそうではありません。
足元に土台がないのをなんとかごまかしながら日々過ごしているのです。
ほら私は信仰を離れても大病なんかしない。それを証明し続けなきゃ、という強迫観念にかられて。
病気と信仰は関係ないとのお言葉、とてもとても心強いです。
そして、信仰は仏様との心の向き合い方なので救われることはある、との言葉も。
私は幼い頃の洗脳にも似たカルト宗教の信仰の影響で、宗教全体にうさんくささを感じるようになってしまっていました。
弱っている人に漬け込んで多額のお金をむしる、選挙の時だけ連絡する、ほかの教えを邪教といって排斥する...等です。
しかし私の心の向き合い方の問題のみだとするなら、仏様の考えや教え等学んでみるのもいいのかなと思い始めました。
なによりハスノハというサイトに相談している以上、救われたい、と心の拠り所を求めている証拠なのだと思います。
まずは知ることから始めたいと思います。
本当にありがとうございました。