難病のパートナーとの同居について回答受付中
こんにちは。難病のパートナーとの同居と彼の介護についてご意見をお聞かせください。
3年前、パートナーと同居していた際に、彼は難病指定を受け、障害者になりました。海外でしたので頼れる親族もおらず、一人で彼の看病を約半年した結果、私も心身ともに体調を崩して共倒れした経験があります。現在彼はご実家で療養中で、別々に暮らしています。
ですが最近、また一緒に暮らそうか、という話が持ち上がってきました。
ご実家への負担軽減、そして自分専用の生活スペースがほしいという彼の希望です。
私もまた彼と一緒に暮らしてみたいなと思う反面、過去の一人看病がトラウマになっているので、彼と2人きりになる(自分が全責任を負わなければならない)のが怖いという気持ちがあります。3年前、病のせいで彼の精神面も崩壊した際、彼のご家族を頼ったのですが、結局何も手伝ってもらうことはなく、大変な事態になったので、またその状態に陥ってしまう可能性を恐れています。
ちなみに彼とは婚姻関係にはありません。かなり長い付き合いで、もう恋愛感情ではなく、情でつながっている関係です。
彼には、もしまた同居するならば、私は彼の看病や身の回りの世話はしたくない、一人ではできない、という旨を伝えました。一人の自立した人間同士としての関係で同居したいと。介護や通院サポートは、必ず外部サービスや彼の家族に担ってもらいたいと。彼がハンディキャップを負ってしまった部分を補う係には私はなりたくないし、私にはできないと伝えました。かなり冷酷な人間と思われるでしょうが、経験上これが現実です。
そこで質問です。難病のパートナーと同居するのに、看病は一切しませんという立場は、実際、社会的に通用するのでしょうか。あるいは、パートナーの看病をする気がないならば、同居をするべきではないでしょうか。
体の不自由な家族がいる場合、どこの家庭も皆が協力するのが当たり前という傾向があり、婚姻関係があればなおさら、その責任が追及されるかと思います。
ただ、私たちは婚姻関係にはなく、家族でもありません。
厳しいお言葉でも、ご意見をいただけましたらありがたいです。
お坊さんからの回答 4件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自分を犠牲にしてはならない
パートナーの方がもう一度一緒に暮らしてほしいというのは、あなたに介護を手伝ってほしいという意味だと思われますので、同居はしても介護はしないという申し出は受け入れてもらえないでしょう。
それよりも、一緒に暮らすだけでいいと言われて、あなたがそれに応じ、なし崩し的に介護を押し付けられることを危惧しています。
パートナーと再び同居することで、あなたが今の生活より幸せになるというのなら話は別ですが、あなたの人生を少しでも犠牲にする恐れがあるのなら、きっぱりと断るべきです。
これは冷酷でもなんでもありません。
むかし、コーサラ国のパセーナディ王はマツリカー妃とともに高楼に登って雄大な景色を楽しみながら、マツリカー妃に尋ねました。
「お前にとって自分より愛しいものはあるか」
マツリカー妃は「自分よりも愛しいものはありません」と答え、パセーナディ王に逆に尋ねました。
「あなたにとつて自分より愛しいものはありますか」
パセーナディ王は「自分より愛しいものは何もない」と答えました。
この話を聞いた釈尊は、まさにその通りだと深くうなずき、「それゆえに自己を愛する者は人を害してはならない」と説きました。
誰も人を犠牲にする権利はありません。
人の犠牲になる義務もありません。
あなたがパートナーと婚姻関係を結んでいるかどうかというのは、この際、関係のない話です。
彼はあなたを介助人としてでなくパートナーとして愛しているのか
彼にも、あなたにも、幸せになってもらいたいですし、愛する人と連れ添っていく生き方ができたら理想だろうと思いますが。今の状態では、身の回りにいる人が全て負担になってしまっています。実際に、同居していた時は あなたが、ご実家では親が負担となり疲弊している。これが現状ですよね。
だからこそ、障害者福祉があります。難病に応じて、24時間ヘルパーがつく場合もあります。ですから、彼や彼の親は、ご本人を含め、しっかり家族を守るためにも、障害者福祉を知り利用するべきです。
これは、あなたが悩む問題ではありません。あなたが考えるのは、そんな彼を愛しているのかどうか。一緒に生きていきたいと思うのか。彼のパートナーになりたいのか。彼も、あなたを介助人としてではなく、パートナーとして愛しているのか。
互いにどんな存在なのかを、しっかり考えていきましょうね。
難病のパートナーと同居するかどうかの問いに寄せて
大切な方との暮らしと、あなたご自身の心身の健康との間で揺れておられるのですね。3年前に一人で看病を担い、共倒れしかけた経験を持たれているからこそ「もう同じことは繰り返したくない」という思いはとても自然なことです。それは冷たさではなく、現実を踏まえた誠実な感覚だと受け止めていただきたいです。
1. 「看病はしない」という立場は通用するのか
婚姻関係にある場合は、介護の責任が配偶者に強く求められやすいですが、あなた方は法的な家族ではありません。そのため、社会的にも制度的にも「介護を担う義務」は生じません。したがって「外部サービスやご家族に頼る前提でしか同居できない」という条件を出すことは、十分に筋の通った立場です。
2. 同居の可否を決める基準
ただし、実際に同居すれば「同じ家に住んでいるのだから多少は助けて当然」という暗黙の期待が彼や周囲から生まれることもあります。ですので、
介護・通院・緊急対応を 誰が担うか明確にする
口約束ではなく 書面やメモに残して合意する
緊急時にあなた一人に負担が集中しない仕組みを整える
これらが実現できるかどうかが判断の大きな分かれ道になります。
3. 「情」で結ばれる関係の限界
長年の情があるからこそ離れがたい一方で、それが「責任感や罪悪感」にすり替わってしまうと、あなた自身の心がすり減ってしまいます。愛情があっても介護が続けられなかった、という方は少なくありません。
4. 今後の向き合い方
条件付き同居をあらかじめ宣言する
外部サービスの利用を必須とする
あなた自身の生活を優先する(疲弊すれば二人とも不幸になる)
もし条件が整わないなら、距離を保つ選択もまた大切な愛情の形です
結論
「看病をしない立場で同居すること」は不可能ではありません。ただし、その条件を彼やご家族、サービスときちんと取り決め、責任を一人で抱え込まない仕組みを作ることが大前提です。もしそれが叶わないなら、距離を保ち続けることも彼を思いやる道です。
合掌
難病の彼との同居の心構え
お疲れ様です。難病の彼と長年お付き合いされてお疲れのことでしょう。
婚姻関係にはないパートナーと同居するのに、介護をするという気持ちが必ずしも
必要では無いというお考えもあって良いのではないですか?
彼のご親族やあなたのご親族が、喧伝していろんなことをおっしゃるかもしれませんね。その事で、あなたが傷つく必要は無いのです。
彼と一緒にお暮らしをお考えなら、あなた自身が健やかであることが大切であります。そのあなたの健やかさや優しさが、介護という意識ではなくても、彼を癒す働きになるとお考えください。以下の、<今の私に 今のあなたに>という詩をお読みになって、しばらくの間、目を瞑って深く呼吸なさってください。次第に気持ちが落ち着いてきましたら、そのやさしい気持ちで彼と接してくださいね。彼もあなたも、
お互いに癒すことができるようになるでしょう。
<今の私に 今のあなたに>
気づきをもって、怒りや苦しみを見つめてください。
その気持ちは、観察することで、自然に消えていきます。
その源を探さないで、また、消すように努力もしないで。
そこで生まれる、静けさや落ち着きは、子供たちがそこに
いたいと思う安らぎを提供してくれます。
嬉しいと思う気持ちも、悲しいという気持ちも、あなたの感情にあります。
つまり、あなた自身が癒されない限り、他の誰をも癒すことなどできないのです。
さあ、やってみましょう。呼吸を観察することで、本来の自分に立ち戻ってみましょう。それが、自分だけでなく、他のものをも救うことができる方法なのです。