彼女が新興宗教に入信
(編集部より。投稿の一部を変更しています)
長年付き合っている彼女がいますが、先日、半年前からある宗教に入信している事を告げられました。
私は宗教二世という事もあり、幼い頃より神の存在を前提に教育を施されましたが、信心のみで自ら考えることを放棄する生き方に共感できず家を出ていました。しかし利他的な行動に尊敬もあり、宗教全てを否定しているわけではありませんが、嫌悪感を持っているのも事実です。
こうした背景もあり、当時は無宗教の彼女には宗教に近づかないように頼んでいました。しかし、転職を機に彼女の不幸が続き、同僚の先輩の勧めから入信に至ったとのことでした。既に信仰心が強く形成されており、その宗教の言う、先祖との因縁による不幸と言うスピリチュアルな因果を信じる口ぶりに、話の通じなかった実家での母との会話が重なり、現在別れ話に発展しております。
私は彼女を愛しており、哲学と努力によってこれまで幸せを築いて来たつもりです。しかし彼女の中では教えに反するわたしはもう必要ないようでした。これまでの生活を取り戻すことはもう出来ないのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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彼女と共有できるものは
こんにちは。
「既に信仰心が強く形成されて」いる、ということ。
「彼女の中では教えに反するわたしはもう必要ないよう」である。
この二つの状況から、「これまでの生活を取り戻すことはもう出来ない」だろうと思います。
私がそう思うのは、お相手の「信仰心が強く形成され」ているからというよりも、彼女自身がそこに幸福を見出しているであろうから、です。「転職を機に彼女の不幸が続」いた事を支えたのは、「先祖との因縁による不幸と言うスピリチュアルな因果」だったのでしょう。自分の「不幸」が続いているのはそういうことだったのか、という一定の納得があったのだと思います。
だから、「先祖との因縁」の解決を図れば「不幸」が回避されて幸福になれる。彼女にとって、その実例、実体験がこれまでの年月で少しづつ蓄積されてきた。そこに人生の安定と安心を得てきた。その「新興宗教」に自らの幸福を確信した状況にあるのだと思います。
彼女には彼女の大切にする幸せがあり、それは誰かが決めてあげられるものではありません。彼女は「新興宗教」を幸せとし、あなたは「哲学と努力」を幸せの礎と考えている。
勿論、恋人、夫婦といえど人間の価値観は一緒にならない場合もあります。
ご主人は仏教徒、奥さんはキリスト教徒、そういうお家もあります。しかし、そこに最大公約数としての愛情の共有があれば何の問題もないのでしょう。
ただ、「彼女の中では教えに反するわたしはもう必要ないよう」だとあります。これは、「新興宗教」の信徒であるということが彼女の幸福の指針であり、愛情の共有以上の意味をもっているということです。あなたが「彼女を愛して」いたとしても。
厳しいことですが、愛情の共有ができないのだから「これまでの生活を取り戻すこと」、並びにお二人の将来を考えることは難しいと思います。