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コロナになり子供たちと会えない

回答数回答 2
有り難し有り難し 11

上の子供がコロナ陽性となり、自宅療養しています。時間を開けて私も陽性となり、別室で療養が始まりました。下の子供は夫と2人、小学校に行けずずっと一室から出られません。
幸い熱は下がりましたが、子どもたちの寂しさと退屈さを思うと、待機期間が長く感じて辛いです。
また、夫婦二人とも仕事に行けないことで、収入面も心配です。心を落ち着ける方法を教えて下さい。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

できないことはできないと明らめる

今はとにかく決められた期間休むしかない
ですからジタバタせず、過ごしましょう。暇な時間ができると想像が膨らみ、不安はいくらでもふくらませることができるのが人間の思考です。

仕事しようにもできない。何にもできないなら、頭も休めて何にもしない時間を過ごしてみてください。妄想ではなく、目の前のリアルにだけ目を向け過ごす。今聞こえる音、今ここに安住しきった様子にいることです。読書して過ごすとか、お子さんとリモートで話すとか、できることしていたらいいし、できないことは手をつけようがないのだから考えないことです。
ハワイ旅行に行って家の心配していても楽しめないでしょう。その場その環境になり切る力が人間にはありますから。
諦めててばなすことです。

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個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

世間の共通認識という一般論よりも確かな情報と事実に学ぶ学ぶ

先日子供の幼稚園と学校でコロナ学級閉鎖で学校にも幼稚園にも通うことができませんが家族でお家でゆっくり過ごせる機会を得たわ(´👄`*)👨‍👨‍👧‍👦とポジティブに考えております。
お子様の症状が軽くなっていくことをお祈りいたします。
コロナ、コロナと言いますが、PCR検査は巨大利権。ここぞとばかりに参入する検査キットビジネスやちょっと前のマスク騒動からの「誰得?」企業と結びついているメディア。メディアでPCR検査をPCR検査を(´💋`*)と煽り、数値と分類上でのコロナ感染者を増やし経済停止にまで追い込まれてしまった日本。医療業界もコロナに分類されることで大きくお金が動く分野もありますし、検査キットによってはインフルエンザでも風邪でも陽性になってしまうものがあるとも聞きますので、お子様のその症状が本当にコロナの症状なのか?風と何が異なるか?をきちんと見極めませんと、実際の症状が風邪なのにあたかも難病にかかってしまったかのように思ってしまう重たい心理も生じます。事実確認と正しい見極めと、世間の情報に煽られないことと、何よりわれわれが自分自身の盛んに走り回る心の作用との上手なソーシャルディスタンスが大事なのではないかと思います。
オミクロンは重症化もしないと聞きますし、ウィルスそのものが自然界で生きるために形態を変えて感染力だけが強くなったという状態だと聞きました。(諸説あり)人は自分が集める情報サイトの情報しか知らないので、どれが真実であるとは言えませんが事実・ファクトに基づく利権がらみのない人たちの意見だけ信じるべきです。ノーベル賞受賞者のウィルス専門家が「人工的なウィルスは自然界のウィルスには勝てない。」「元々あったものではないから自然界に淘汰される。」ということを説いておられます。SARSもエボラも弱まりました。なぜかインフルエンザはさほど今年は流行していません。
正しい処方、正しい対処、法にかなったありかたを「如法」と申します。
すべての作法もルールも実際の現実に応じて作られたものです。皆さんがイイ人でもエゴイズム圏内住人は真逆ですから。だからこそ仏教では最上の価値をエゴや利権よりも神仏に通ずるような人間性を尊重しているわけです。私は別に陰謀論ではなく、誰得なのか?最後に笑う連中は誰なのかを見抜いて騙されない・煽られない。振り回されないをベースに。✨

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

ありがとうございます。心の悪い癖が治りません。冷静になろうと思います。

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