苦痛から逃げたい。生きることに疲れました
不本意な形で哲学科に入ってしまいましたが、全く意味が理解できず講義についていけません。
財政的には留年も中退も休学も厳しいですが、最近は夜寝ることも出来ず、布団から出ているだけで涙が出てしまいます。元々の障害のせいもあり、椅子に座ってご飯を食べることすらできず、妙な圧迫感を感じて立ち上がって歩き回ってしまいます。
生きていくのが辛いんです。
また、元々のメンタルの弱さと発達障害にも悩んでいます。私は周囲に甘えすぎたがために、きっとメンタルが小学生のままこの年に至ってしまったのです。
というのも、これまでの人生において私はどうしようもないまでに自己中心的で、自分以外のことを考えたことがない人間なのです。親・弟・話し相手…
例えば私が親に“ありがとう”という時、それは感謝しているからではなく、親にもっと多くのことをしてほしくて依存していることからくるもので、内心ではほぼ何とも思えないのです。率直に言えば、”感謝“という感情がどういうものなのか、自分にはよくわかりません。親が忙しく働いていることをわかっていながら、私は親に無償の愛と奉仕を期待してしまいます。これは別に今だけのことではなく、これまでの人生において真剣に他者の気持ちを考えて行動したことが本当にないのです。
また、人の名前を覚えることや、言われたことを記憶することが私には難しいようなのです。
昔はニュースや動画などを周回して心を落ち着かせていましたが、最近はそれすら億劫になってしまい、ただただ心が重いのです。
生きるための寄る辺となる趣味もなく、生きることが嫌なのです。加えて不器用で、随分昔にしたバイトすら3日で退散してしまう有様です。社会人として働くなど無理でしょう。努力でなんとかなるとも思えませんし、努力したいとも思えません。
また、少し環境が変化するだけでもひどいストレスを感じます。
自分が嫌ですし、ほとんど依存の対象としてしか認識できていないとはいえまともな人生を歩んでいる家族の足を引っ張ってまで生きていくべきではないと考えます。
私はもう手遅れなのです。どうすれば私は自分を終わらせられるでしょうか。
生きるということがこれほど苦痛に満ちていて辛く、希望がないのなら、もう生きていきたいとは思えないのです。
私は欠陥品で、ならもう自分を捨てさせて下さい。安楽死させて下さい。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ここに書かれた気持ちを、周りにお伝えしてみませんか。
あなたの正直な気持ちに、ずっと一人で悩んできたのだな、辛いだろうなと読ませてもらいました。
あなたが持つ症状もあるでしょうから、自分ではどうすることも、コントロールも出来ない部分もあるでしょうね。
どう生きていったらいいのだろうかと、いっぱい悩んできたのだろうね。もう生きるのに疲れてしまうほどにね。ラクに死ねたらって、考えてしまうんだね。
でも怖いでしょ?わかってほしい、誰かにそばにいてもらいたい、そう思うのではないですか。
周囲に甘え過ぎていると思っても、あなたがこれほど悩んでいるのなら、頼ってねと言ってくださるのではないかしら。親・弟・話し相手… 周りにはあなたを大切に想う方々がいてくださるのだもね。他者の気持ちも、対話することによって聞かせてもらえばいいのですよ。誰一人、あなたを欠陥品などと思う人はいないのではないかしら。
ここに書かれた気持ちを、素直にお伝えしてみませんか。みんな、一人ではなく、誰かと一緒だから、生きていけるのです。あなたのそばにも、皆さんがいてくださっていますよ。
哲学科
は結構不人気で、これがある大学はもはや希少種で(しかし文系学問の根本なので旧帝大をはじめ置き続ける大学は多い)、文学部の中でも最も敬遠され、そのため入りやすいですね。私も哲学科出身です。根本だけに、基礎で、すぐに役立つものではなさそうです。
では、文学部の中で史学や文学、あるいは社会学とか心理学系なら何か役に立つかと言われたら、どれも似たようなものです。では経済とか法学は役に立つ?
資格取得はともかく、大学はものの見方を学ぶところです。役に立つかどうかは、本人がどのように学ぶかにかかっています。どれだけ学ぶという量でもなく、何を学ぶという質でもなく。
せっかく哲学科に入ったのですから、学問とはどういうものか、学ぶとはどういうことか、社会とはどういうものかという広い視野を持って、学んでみてください。転学科、転学部に挑戦してもいいですが、社会科学から人文科学までなら、何をテーマにしても哲学科に同じものがあります。語学は英、仏、独語。アジアなら仏教、東洋哲学で、インド、中国、何でもあります。
正しく生きるためには、思考や表現が論理的であるかどうかが重要です。現実世界ではみんなその時々の感情に屁理屈を付けて論理的だと自他を騙しつつ生きています。論理的に、したいことしたくないこと、なぜ、やるべきことやらざるべきこと、なぜ、感謝の気持ちとは何か、など、まず徹底的に調べて、それから、自分の場合は、と考えて行動しても損はないでしょう。
バイトがうまくいかなければ、「これは今の私には無理です。やめます」でよいでしょう。今後、同じ職種にまた興味を持ち、その時はできるかもしれません。でも、今の自分は一人しかいないので、「今、今、今」とずっと続く今の判断を的確にし続ければそれで十分でしょう。ときどき判断を誤るでしょうけど、後悔する間もなく次の今が来ますよ。いつも、今、今後に対して的確に対処するようにしましょう。
感謝とか恩とか、「心の中身はどうなってるの?」とか徹底的に知りたければ、じつは、仏教には大昔から明確な答えがあります。スマナサーラ長老がまさに『心の中はどうなってるの?』でしたか、そういう本や、他のいろいろなことがわかる本を平易な日本語で出版しています。考えすぎな人は、自分の考えがいかに浅くて足りないか、スマナサーラ長老の本で実感することができます。
質問者からのお礼
ありがとうございます…お二人のコメントで、わずかながら救われた思いです
ただ、実はこの質問は、自分の置かれている現状をほとんどそのまま書いているものではありますが、少しだけ誇張というか、そうなったらどうしようという心配から来る妄想のようなところがあり、加えて今よりも錯乱していた状態だったため表現違いというか、言葉足らずな点が多くありました。そのため、もう一度置かれている現状を整理してから質問させていただきたいと思います。
それでも、おふたりの回答が私に力を与えてくれたことは本当です。重ね重ね御礼申し上げます。