この世で生きる苦しみは学びでしょうか
いつもたくさんの相談と回答を読ませていただき、学ぶことや気づくが多くありがく感じています。
今回2度目の相談です。
前回娘が亡くなったあとの心の持ち方についてご教示いただき、それまで苦しみで澱みきっていた心が浄化されました。ありがとうございました。
あれからも娘のことを思わない日はなく、
でもあちらの世で仏様のお導きのもと、生前抱えていた深い苦しみや悲しみがない在り方(過ごすや暮らすという表現は違うと思いこのように表しました)をしているものと考え、娘の肉体はなくなったけれど存在は私にとって永遠のものになったと感じられるようになりました。
いろいろ考える中で思ったのが、人はこちらの世界で様々な煩悩や苦しみを抱えながら生きていますが、それは学びであって、亡くなった後あちらの世界で仏様になり、生きている人たちの心のよりどころ(?)救いとなるための修行のようなものなのではないかということです。つまり、生きることは決して楽ではないけれど、その経験が輪廻転生の中のどこかで人を救う力になるのではないか…そんなことを考えました。
仏教のことは深く学んだことはなく詳しくわかりません。感じたままのことですが、お坊様方のお考えや仏教の正しい教えをお聞かせいたたければ嬉しいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
そうかもしれませんね
拝読させて頂きました。
あなたが娘さんのことを日々思いをはせ様々に生きることを見つめておられる様に感じました。あなたがその様なお考えに至ったことは少なからず娘さんが人生を生き抜いたことの証でもあると思います。娘さんの生き様があなたに生きることの道しるべを与えていらした様にも感じます。
人が生きることの意味はその長さだけでは押し測ることはなかなかできないでしょうし、その人がどう生き抜かれのかが重要なことなのかとも思います。
よく人生は修行であると言われます、それも一理あるのかとも思います。とはいえ生きることは大変ハードだと感じる時はありますよね。
仏教の教えの中で人生とは生きることとは四苦八苦であると言われます。つまりは苦しみばかりであると説かれてはおります。思い通りにはならない、苦しみばかりが続くのが人生であると言われます。
とはいえその苦しみばかりの人生をどう生きていけば善いのか、どう受け入れていけば善いのかも教えています。それはなかなか受け入れていくことは難しいことではあります。
しかし諸行無常つまり、あらゆるものごとは自分も含めて全て移り変わりゆくものであるということです。ですからその様なことにとらわれずに執着せずにあるがままに受け入れていくことてあらゆる迷いや悩みや苦しみを手放し解放されて救われていくということです。それが悟りに通じていく道である、成仏への道であるのです。
ただ生きていく中ではなかなかその様な境地に到達できません本当に大変なことです。
ですから逆にお亡くなりになられた方々は仏様に導かれて一切の迷いや苦しみからも救われていくことは可能なのです。少なくとも自ら囚われている様々なものごと、貪りや怒りや憎しみから解放されるでしょう。
もしかしたらあなたもそうお考えなさってやそんな思いに至っておられるのではないでしょうか。ですから娘さんが生き抜かれたことはとても尊いですし、必ず娘さんは仏様に救われていくでしょうし、一切の迷いや苦しみから離れ必ず安らかにご成仏なさっていかれることでしょう。そしてあなたに生きることへの気づきを与えて下さっておられるのかと思います。
あなたと娘さんとのご縁はこれからもずっと続いていくでしょう、いつでも娘さんはあなたのことを優しく見守り続けて下さいます。そしてあなたが天寿全うなさる時必ず娘さんがお迎えなさって下さいます。
よく学ぶか下手に学ぶか
初期仏教では、人間に生まれたのは、前世の業の中の良いものが出たから、それと別に、一生涯の中で前世の業の中の良いものが助けたり悪いものが足を引っ張ったりする、と、おおざっぱに見ます。それらは全部、過去世のものを甘受するものです。
それらに対して、私たちはいろいろ反応します。考えたり行動したり。それらは、今世で作る新たな業です。一つ一つのことについて、あるいは一日の生き方について、良い業を作るか悪い業を作るか、どちらがどれだけ多いか、そんなことで今世の生き方が、また来世が影響されるでしょう。
とりあえず四種類に分けられます。
「あんなに苦しいのに、頑張っている。乗り越えた。」×から〇のパターン。
「あんなに苦しいから、やっぱり駄目になっちゃった。」×から×のパターン。
「あんなに恵まれていたのに、だめになっちゃった。」〇から×。
「あんなに恵まれているのに、ますます立派に行動している。」〇から〇。
人は良縁を得て善行為も悪行為もします。悪縁を得て善行為も悪行為もします。
生きることすべてが生まれてから死ぬまで学びというか成長するチャンスだと初期仏教では見ています。具体的な試験問題は人それぞれ違います。一人の人にもたくさんの問題が、その都度、出てきます。どのように回答するかによって、良く学べたか良く学べなかったかの結果が出ます。
質問者からのお礼
お礼が遅くなってしまい大変失礼いたしました。
頂いたご回答を何度も読み返しました。
お示し頂いたことを深く深く理解したかったのです。ありがどうございました。
慈照様
現世を生きる中での業は前世の業を受けているのですね。生きる上での課題のようなものと考えると、良くないことも向き合っていける力になります。もともと苦に対して耐性があるほうですが、たまたま降りかかった不運ではないと思えば向き合えます。そして乗り越えることで成長をし、来世につなげることができるのであれば×→○のパターンで前向きに生きていけそうです。
ありがとうございました。
Kousho Kuuyu Azuma様
今回も私の心に寄り添ったご回答を賜り感謝しております。
おっしゃるように、生きることの難しさをあらためて気づいたのは娘の死によるものです。娘はたくさんのことを教えてくれました。今回の質問のように生きることの苦しみは無駄なものではないだろうと考え、苦しみや煩悩の本当の意味はなんだろうともやもやと考えていました。
これから先まだまだもやもやと考えることが多くあると思いますが、辛くとも逃げずに向き合い少しでも良い方向に進めるように気持ちを持ち続けたいと思います。
ありがとうございました。