大切な人達を亡くした後の生き方
夫が亡くなり一年半が過ぎました。
その間、母も見送りました。
この世に味方になってくれる人、理解し合える人がいなくなり、とても寂しいです。
子育て、家事、仕事等頑張ってはいるのですが、頑張った先に未来が無く、何の為に生き残ってしまったのか分からなくなる時かあります。
死別して時間がたてば少しは悲しみが和らぐのかと思っていましたが、より深くなりました。「夫さえいてくれたら」とどうしても思ってしまい、独りをつきつけられています。
自分の寿命が後どれくらいあるのか分かりませんが、少しでも生きやすくなるような心の持ち方、考え方等アドバイスを頂けたらと思います。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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哀しみは宝物、大切に。
拝読しました。大切な方が亡くなった後の哀しみと寂しさが続き、お辛いですね。ただただ寂しい、その寂しさがとても伝わってきました。一年半と決して短くない時間を耐えられて、そして、その間にお母様も亡くされて、深い哀しみの渦中であることをお察しします。死別は、残される方が辛いものです。
その哀しみがわかります、とは決して言えませんが、旦那様もお母様も、るみのるさんのお近くにいると思います。決して居なくなったわけではありません。
水が水蒸気や雲などに形を変えるように、私たちもそれぞれの元の姿に帰ります。それを仏教語で新帰元と言いますが、水蒸気のように目には見えないけれど確かにある存在です。ですので、決して一人になったと思わないでください。お仏壇に水やお花など五供養をお供えし、毎日手を合わせ、お声をかけてあげてください。
お釈迦様は、五供養のほかにもう一つ大切な供養があるとおっしゃいます。それは、亡き人が喜ぶ生き方をすることです。時間がかかるとは思いますが、ご自身が喜ぶこと楽しめることが見つかって過ごせたならば、お二人も喜んでくださるように思います。きっとお近くで見守っていらっしゃる、そんな気がします。
私は親友を11年前に亡くしましたが、やっと最近、そのことを受け入れられるようになりました。また、思い出して泣くかもしれないけれど、それはそれで悪いことではない、と思っています。それだけ大切な友人だったと、そのことが誇りとして宝物のような存在です。
旦那様、お母様ともに、今のるみのるさんの宝物だと思います。どうぞ大切になさってください。影ながら応援しています。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
読みながら涙がとまりません。
目には見えないけどいつも側にいますよね。
「亡き人が喜ぶ生き方」時間がかかるかもしれませんが、あせらず、小さな事でもいいので、嬉しい、楽しいと思える事を見つけられたらいいなあと思います。