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人に憎しみをネチネチ持ってしまいます

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タイトルの通りですが、人やモノに対して憎しみを根強く、簡単に抱いてしまいます。

高校生の時に不登校になり、ずっとそれが人生の最初の汚点として残り続けています。
最初の憎しみは高校のときの同級生達で、私はこんなに真面目にやってきたにもかかわらず学校に行けなかったのになんでお前らは楽しそうに行けてるんだよ、と思います。
高校の時に嫌がらせしてきた子に対してももう卒業から6年くらい経つのになんで私のこと傷つけておいてお前は今幸せなんだと憎しみが止まりません。わざわざFacebookとかで見に行ってしまいます。
大学でも元交際相手に辛いことをされたのですが、なんで私はそのせいで身体も傷つき、お金もかかったのにのうのうと生きてるんだろうと思ってしまいます。(子どもを堕ろしたとかではないです。)
社会人では結構バリバリに働きましたが上司のパワハラと客がつきまとい行為をしてきたため、適応障害になって辞めました。
なんでこんなに苦しんだのにお前らは普通に生きてるんだろうと社会人になっても怒りが止まりません。

憎しみばかりを持ってはいけないとかポジティブに生きるための教えとかも読んで頑張ってみたもののずっと心に残っています。
そのせいで衝動的にブチ切れてしまうこともあります。(ヒステリックみたいで自分がすごく嫌です)

人を憎むと自分に返ってくるとかを聞き、許す、許すと思っていても憎んでしまいます。
どうしたらいいと思いますか。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あの時の💀負の意識💀が維持されているだけ。断ち切る!

💀綺麗ごとや祈るとかより具体的な改善策を👼
あなただけ救われても相手の悪意や人間性が変わらない限り、世の中ちっとも良くならない。双方の改善ッ。ですが相手を変えることは困難ッ。であれば、まず悪意をなすイミフな人間の心理を学び、かわす。防衛クオリティ高め設定ッ!心の聖域の感染防止!🐛
まずは今までのフラストレーションやフザケンナな心理はこの曲の後半部のキレッキレ部でヘドバンして毒素デトックス。
https://www.youtube.com/watch?v=a3JSbOt7CLo
つぎに貴女の脳内に他人に憎しみを抱かせたKUSO悪意、悪玉菌を滅す。🔥
そもそも、人間は誰でも笑顔が好き。( ゚Д゚)あんな嫌な奴さえいなければ大人しい人同士で平穏だったはずっ。そこに凶悪な🐯トラブル・問題発生。きゃー。ノー!いや!キライ!ムカつく!やだー!助けて!
思い返せば数多くの心理内トラブルがっ。アタシの女子力を下げたのはアイツだこいつだ!あの女あの野郎!(# ゚Д゚)だけど、恨めばアタシの心が毎回汚されるゥゥゥ!おまえのせいでぇぇ!お・ま・え・のためにィィィ!ULIィィィ!💀
脳内で巻き戻してあの毒素が生まれた瞬間を思い出しましょう。そして心の内外が腐れ毒汁に染まる前のあの出来事の5分前に巻き戻し。そうよ、あたし。あの事がなかったのなら、別に何でもなかったんじゃないの。でも、あの事件のせいで…。でも同じような経験をしているのに平気な奴がいる。なぜ?だとしたらあたしもそうなりたい。じゃ、どうすればいいの?あの腐れ毒汁だけでも脳内デトックスしなきゃ!そこで心しずめて仏の呼吸。心をしずめて深呼吸。私が私の意識でこきゅーするでもなしに入ってくる息まかせ出ていく息まかせ。主人公は今から呼吸。私のおしゃべり意識、シャラップ。✋私が私がアタシがの自分意識、黙れ。
( ˘ω˘ )さぁ、その毒汁腐れ液はどんどん出ていきますよー。もう少しです。あなたの脳内はさらさらに。脳みその色が茶色からピンク色に✨💟(なるんかい)
そこで冷静にナイスチョイス、ナイスな選択を。
このあとまた腐れ毒汁な心にかえりたいですか?
ヽ(´д` ; 三 ; ´д`)ノぶんぶんぶんぶん
ですよねー。大きくうなづきます。
( 。。) ゚д゚) 。。)
からの…仕上げです。冒頭曲の後半部3:05へ!ぐわんぐわん

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今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

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