子供に過ちをどう伝えるべきか
お迎えして1年ほどの文鳥を飼っていました。
文鳥をお部屋に放している時の事でした。
子供たちは2人で遊び回っている最中、私と夫はそれぞれ別の事をしていて、文鳥から少し目を離してしまいました。
ふと気が付くと文鳥が出血し床で潰れて死んでいるのを夫が発見しました。
子供たちもすぐに寄ってきて「どうして死んだのだろうか」とわんわん泣きました。
私はその場を見てはいませんが、おそらく子供達のどちらかが文鳥が足元に居るのに気が付かず間違えて踏み潰してしまったのだと思います。
私は子供達が自分で潰してしまった事を目の当たりにしなくて良かったと少し安心した反面(ただでさえ死に方がショックな上トラウマ等になってしまう事もあると思ったので)
小さな生き物を大事にする事を前提にきちんとした事実を伝えるべきか迷っています。
しかし子供自身が「自分が踏み殺してしまった」という事に対してどう受け入れるかが心配です。
私自身も飼い主として油断していた事もとっても反省しております。
伝えるべきか、伝えるとしたらどの様なことに注意をするべきでしょうか。
私、夫、息子(9歳)、娘(7歳)の4人暮らしです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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いのちの儚さ、大切さ
お悩み拝読しました。
実は私も小学生の時に、飼っていたインコを部屋の中に放ち、誤って踏んでしまったこと、机の足に挟んでしまったことがあります。小さな動物の儚さを幼少ながらに思ったことを思い出しました。
核家族化になり、医療も発達し、病気や高齢の方と暮らすことが少なくなった今、私たちは日常から死が身近なものとして感じられなくなっています。動物と言えど大切ないのち。事故であれ病気であれ、死に触れる機会は人生において大切です。
今の気持ちを聴けるようであれば聞いてみてもいいですね。悲しさ辛さ、悔しさ、そんな気持ちがあれば聴き、受け止めてあげて下さい。そして、ごめんなさいという気持ちと、一緒にいた時間にありがとうという気持ちをもってご一緒に手を合わせてあげて下さい。決してご自身を責めないように見守り、いのちの儚さ、大切さを知る機会を頂いたと思って頂きたいと存じます。辛い経験ですが、一つ一つが今後、お子さんが生きていく上で大切な死生観を築いていくと思います。
伝え方
夜道さま、こんにちは。
大事なご家族を失ってしまったこと、心中お察しします…
お子さんが自ら踏んでしまったかもしれない、ということを伝えるべきかどうか、ですよね。迷わしいですね、こういうとき、私はブッダ(仏さま、お釈迦様)の生き方を真似します。
その極意は、一言でいえば、縁があるときに話し、縁がないときには、花さい、ということです。縁とは、きっかけのことですね、相手からの問いかけや質問が、多くの場合、縁となります。
つまり、相手が、「どうして死んでしまったの?」と、母である夜道さまに、回答を強く求めるのであれば、それなりの回答をすることになります。
一方で、大事な文鳥さんが亡くなってしまったことに心を痛め、なぜ死んでしまったのか、ということよりも、悲しみに暮れているようであれば、あえて、踏んでしまったかもしれない、ということまでは、このタイミングでは!伝えないでも良いかもしれません。
その場合、お子さんが大きくなり、思慮分別がよりついたころに、おそらく、みずから気づくことになるでしょう。それが、「縁」ということになります。
文鳥さんも、安らかに成仏してくださるよう、また、お子さんが今後、文鳥さんとのご縁をきっかけに、健やかに成長なさるよう、微力ながらお祈りしています。