hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

存在そのものを悪と断じずにはいられない

回答数回答 1
有り難し有り難し 15

「生きているのではなく、生かされていることに感謝すべき」だとおっしゃるのでしょう。
けれど、どうしても「生きていること、生かされていること」を肯定的に捉えることができません。
「盲亀の浮木」というように、この比較的平和で当たり前のように安全な生活ができる存在として生まれたことそのものがとんでもない奇跡、という理屈も承知しております。
しかし、「だから生まれたことに感謝すべき」と言われても感情が追いつかない上に、「存在するということはとんでもなく危険なことなのに、誰もそこから逃れられない」と、存在そのものをどうしても否定したくなってしまいます。

限られた運の良い生き物しか安全に生きられない。
限られた運の良い人間しか生きることを許されない(そんなことはないとおっしゃるかもしれませんが、自己責任論と優生思想のほうが人間の本音だとどうしても思ってしまいます)。
これまでの人生で幾度となく自殺を考えましたが、死んだところで「存在」からは逃れられないと気付き、「じゃあ生きるって何なんだ! なんでこんな悪趣味なことを強いられるんだ!」と、閉じた恨みの感情ばかりが強くなります。
所詮、うまくいかない自分の有様と社会問題を歪みきった認知で安易に結びつけているだけなのでしょう。
ただ、そこから脱却するための、理論的にも感情的にも強い根拠が見つからず鬱屈としています。
「生き物だから生きるのだ」と言われても、「それは存在の『罪』から目を背けているだけだ」「生きることは悪であるという、自分にとって都合の悪い真実を見て見ぬふりしているだけだ」と思ってしまいます。それとも、私が「生きることは善である」という真実を見て見ぬふりしているのでしょうか。生きることを肯定されてしまっては、私の苦しみに満ちた人生をも肯定しなければならないから、「生きることは悪である」という幻想に逃げているだけだとおっしゃるのでしょうか。

痛みや苦しみを憂うあまり存在さえ否定したくなるのが煩悩だとしても、「存在することをやめたい」「ありとあらゆる感覚器官を捨て去りたい」「物質的制限にまみれたこの次元から脱出したい」と思わない時はありません。
まして、この世界から「生きるに値する根拠」は急速に失われつつあるのではないでしょうか。

死ねないなら生きる苦痛を受け入れなければならず、しかしその覚悟が決まらないのが課題です。

2022年3月9日 13:57

この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

苦しみは、多分なくならない

 こんばんは。立場の違う「他人」から言われても、「人からもらった勇気は保っても三日」と言いますからあなたを根底から支えることはできないだろうな、と思いながら書いています。
 私たちは、言葉を持たない頃から「生きたい」と表明し、周りにそれを受け止めてもらって生きながらえてきました。赤ちゃんは言葉を使いませんが、言いたいことは「僕は生きたいんだ、命を長らえたいんだ」と泣くのです。それを周囲がキャッチせず、キャッチしたとしても対応しなければ、あなたは今生きていないでしょう。覚えていないでしょうが、あなたは確かにそういうやりとりをして生かされてきたのです。
 そして「苦に満ちた人生」と仰いますが、それは程度問題で誰にも共通のこと。「運良く安全に」と「運」を持ち出すならば、「宝くじにあたって銀行の帰り道に交通事故で死ぬ」は、運の良い人と言えますか?
 さてしかし、あなたの問題意識はとても正しいものと思います。どれくらい正しいかと言えば、「お釈迦様が取り組んだ問題と同じ程度」ではないかと。彼はその問題を抱え、何人かの先生に弟子入りし、苦行もしてみた、座禅もしてみた。世の中の有り様をとくと思い出して、最後は「世界は美しい。木の下は涼しい」と気づかれたようです。
 私も坊さんですから、基本的な世界の捉え方は「世界には苦がある。苦とは思い通りにならないことだ」です。その土台の上で色々考え、活動しています。そう簡単に解決するとも思いませんが、たどり着いた人はいると思えば、絶望するには勿体ないと思うのです。

追記です。こんにちは。早速お読みいただき有り難うございます。きっと返信くださると期待しておりました。ですから「私の時間を奪われた」などとは思いません。
「お釈迦様とは時代が違いすぎて」とおっしゃいますが、2600年程度です。こんな根源的な問題が、そんな短期間で変わるとお思いでしょうか?せっかくですから手塚治虫氏でもいいからお釈迦様の伝記に触れてみたらいかがですか?
 ただ改めて、貴方の問題は「現代的」なのかも、と感じました。そのような考えに至った方が子孫を残す気になるとも思えず、そういった遺伝子があるとしたら絶えていてもおかしくないと思うからです。
 そろそろ字数制限ですので、良かったら新たな問いをおこしてみて下さい。

2022年3月9日 22:42
{{count}}
有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

「苦に満ちた人生」が私だけのものでなく、誰にでも共通しているから苦しいのです。私だけが苦しいのであれば、裏を返せば私さえ努力すれば苦しくなくなると言えるような気がします。しかし、誰もが苦しいから誰かに苦しみを押し付けたり、苦しみを誤魔化すために何かを奪うことでしか癒せない、それによって新たな苦しみが生まれ、自分のものではない苦しみも背負わなければならなくなります。私の書き込みだって、あなたの時間を奪っているのです。
申し訳ないことに、お釈迦様が悟られたと言われても、時代が違いすぎてしっくり来ませんでした。それに、赤子の頃の自分さえ疎ましく思ってしまいます。
私は本能的なものを強く嫌悪していて、だからこそ存在を悪だと断じるようになってしまっています。理性だけで考えれば、「ありとあらゆる生き物は存在してはいけない」という結論に至ると確信してしまっています。本能を肯定する根拠が見つからないから、生きる根拠も見つからないのかもしれません。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ