親の同意や祝福を得る意味を教えてください
進学、就職転職、引っ越し、結婚等、
「親に反対されて…」という悩みに
「時間をかけてわかってもらいましょう」のような回答が付きますね。
人は独りで生きていけませんし、親の助けや、「親が応援してくれている」という心強さが、自分の成功や粘り強さになるとは理解していますが、
でも腹の中では納得していません。親にとって子供とはいえ他人のことなので、同意や祝福を得る目的はなんだろう…と考えています。
親は私と違う人間なので、同意できかねることもある。
同意や祝福を求めるのはおこがましいのではないか。
親が「ダメだ」と思う生き方を私がするのは申し訳なさはあるが、私がそうしたいから仕方ない。
それを時間をかけてでもわかってもらう…というのは親の人生の邪魔のように思います。(話をきいてもらう時間ももったいない、どうせ私は親の思う通りに生きられない)
ここから問題なのですが、でもきっと私の親は、私に納得させられたいのです。
論を尽くして、自分たちの心配に対して私が「こんな用意があるから大丈夫」といい、安心させて欲しいのだと感じます。またはお互いの意見の落とし所を一緒に見つけたいのだろうと。
しかし私はそこまでする目的がわからない、なぜそんなにプレゼンする必要があるのか、歩み寄る必要があるのか、そこに意味をみいだしてないので、それが出来ません。
私が薄情で、親が安心するかしないかなど、どうでもいいと思っているのでしょう…。
人に言われてすぐに「そのとおりだ」と思うほど素直ではありませんが、私は意味を見つけたいので、何かヒントをいただけますか。
(意味を見つけたい、納得したい!と思ってるところが親と同じで、自分に嫌悪しますが)
私も息子のいる母親なので、息子とこういうやり取りがありそうですが、自分がこうなので「フォローはするからやってみろ」とほとんど何もきかずに放り出しそうです。
それも良くないのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
皆が同じ感覚ではない、とわかるだけでよいと思います
まりーさんのおっしゃる息子様に対する対応、
『「フォローするからやってみろ」と放り出す』
これは私が息子様であれば最高の対応であると感じます。
そして、相談文を読ませていただく限り、まりーさんは少し他人より合理を愛しており、他人の“情”に対して理解が薄いのかな、と思います。
合理を愛されるのは素晴らしいことだと思います。
自分で自分の世話ができる人間にとって、他人と言うのは基本的に足を引っ張る存在になります。
それが子供のように“世話をしたい”人間であるかもしれませんが。
つまり、合理で生きるなら助力などを考えず自分一人で生きる方が楽だし、効率的なのです。
しかし、“自分のことを助けてくれる”人を保険として確保しておく、という考え方ならば理解不能、ということはないのではないでしょうか?
もちろん、保険もそれを必要とする人と、しない人もいます。
しかし、相談をしてくる人たちと言うのは保険を欲する人や、保険の重要性をわかっていない人が多いので『親にわかってもらおう』という回答が多くつくことになります。
もし、親の助力や自分に起こり得るアクシデントなどのリスクもすべて俎上に置いて考慮した上でならば、親の理解など不要です。
しかし、そこまで自ら考える人ならば、相談などせず、さっさと絶縁している可能性が高いと思いませんか?
私たちのような相談に対する回答者と言うのは、相談文から読み取れる情報はわずかなのです。
だからこそ、想像し、共感し、補完して、可能性が高い返答をしているのですね。
要約として私のあなたに対する回答は、
『“親の祝福”は“高価な保険”と同じであり、必要だと思えば取得するのが良い』
となります。
質問者からのお礼
大変腑に落ちる回答をいただき、ありがとうございます。
たぶん私は【合理的ではないのに合理的なことに憧れて合理を愛している】ので、それでけいじょう様のような回答が思い付かなかったのでしょう(双方のバランスがないといけませんね)。でもとても「わかった!」と気持ちの良い思いでいっぱいです。
>相談をしてくる人たちと言うのは保険を欲する人や、保険の重要性をわかっていない人が多い
>そこまで自ら考える人ならば、相談などせず、さっさと絶縁している可能性が高い
本当にその通りですね。
絶縁までいっておりませんが、私は相談せず報告のみです(お小言はすごいですが)。私は失敗しかしてない(が、死なないから良い)、くらいに思っています(笑)
>想像し、共感し、補完して、可能性が高い返答をしている
そういうわけで、回答者は保険の重要性を挙げて、必要そうな人に勧めているわけなのですね。
私は息子から相談をされたら、彼の保険になれば良いのですね!
今度息子と話す機会があれば、こんな風にお坊さまに教えてもらって嬉しかったと話します。
私の本当の悩みは「息子にどう接すれば良いか」だったのかも知れません。
それを察していただいたような気がします。ありがとうございます。自信が出てきました。
また、親の祝福を受けるのは、
親がいつか自分で何もできなくなったときのために、私を保険にできるようにすることでもあるのかなと思いました(お互いさま的な)。
私も明日どうなるかわかりません。できるだけ長い間、誰かの保険の立場でありたいですが…
祝福は要らないが、困ったら必ず連絡してほしいと伝えます。
親へのわだかまりも少し晴れそうです。