ご縁は本当にあるのでしょうか?
人生の悩みができ、数年ぶりにこちらのサイトを訪れます。
私は最近、1年半ほど付き合った彼とお別れして、婚活をはじめました。
ポジティブになれる時もあるのですが、結婚したり、出産したりする友人達の報告を聞くと落ち込んでしまいます。
親友に相談すると、あなたは素敵だし、自分が男性ならあなたと結婚したいくらい。だから、大丈夫と励ましてくれます。
けれど、出会いの場にいっても、男性、特に同年代の20代の方は、容姿で判断する方が多いように感じます。美人でなければ足切りされてしまう。他の婚活や恋活をしている友人をみても、こんなに素晴らしい子なのに、なぜお相手は彼女の内側をみようとしないのか?と思うことがあります。
その為、親友の言葉も素直に受け取ることができません。ただのお世辞だろうと感じてしまいます。
親友は既婚者ですが、彼女の結婚式に出席した時、友人代表の手紙を読ませて頂いて、涙が出るほど嬉しかったですし、彼女は、いつか私の結婚式で手紙を読ませてねと見守ってくれます。
けれど、既婚者からくる余裕、長年の幼馴染としての社交辞令なのでは?と思ってしまうのです。
ご縁とは一体なんなのでしょうか?
どうしたら、巡り逢えるものでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
もし無かったら…
確かに何でしょうね、縁って。
ひとくちに「縁」と言っても色々ありますものね。良いものばかりでもないですし。
因果関係という言葉がありますが、仏様の教えではこの真ん中に「縁」を込めて、因・縁・果と表現します。
物事には必ず原因があり結果がある。
原因を結果に結びつかせるには必ず縁が中継する、良く悪くも、です。
生者必滅・会者定離という考え方も同じで、世の中の原理や原則に忠実に沿った考え方なのですね。
物質の原子レベルを説いても、生体のDNAレベルを説いても、宇宙や地球の誕生を説いても、原因はどこに在って今そのように成るに至ったのは何故かという経緯=縁があってこそ、結果は初めて証明されるものなのです。
ご縁はあるのか?という疑問ですが、上述のことから敢えて申し上げれば、「縁」自体が欠けてしまえばそもそもこの世には何も存在しない、ということになってしまいますね。
結果に結び付かなければそれは「繋がらない縁」であって、逆にめでたく結果を引き寄せたのならそれは「繋がった縁」というわけです。
それでもやっぱり気になりますか?たぶんそのお気持ちは単なる「焦燥感」から来るものと考えます。
以下、ある芸能人の方のとても良いお言葉を拝借して、結びといたします。
「結婚相手を見つけようとか、
20代の時に良い人を見つけようとすると焦るし、
自分の型に嵌めようとする。
だから、死ぬときに横にいる人を見つけようと思うこと。
『死ぬときに横にいてくれたらいいな』
って思える人を死ぬまでに探せばいいんだよ。」
肩の力を抜いてまいりましょう。
ありがとうございます。合掌。
縁は不思議なものです
拝読させて頂きました。
あなたのお悩みのお気持ちわかるように思います。本当にそんな気持ちで言っているのか?と疑問に思ってしまうお気持ちもわかる気がします。あなたのお気持ちを心よりお察しします。
お友達がおしゃっていることはうそいつわりない素直なあなたへのお気持ちだと私は思いますよ、あなたのことをとてもよくしっていらっしゃるからこそその様なお言葉が自然に出てくるのかと思います。人を疑ってかかれば一から十まで何でも疑ってかかってしまい何も信じることができなくなってしまいます。それはとても悲しいことですし、あなたが人を信頼できなくなってしまうことになってしまいます。つまりあなたは人とのご縁を深めていくことができなくなってしまうことを意味します。
あなたがこれから人とのご縁を結んでいくのであれば疑うことよりも自分を信じて自分のことを大切に思って下さる方や自分とのご縁を深めようと思って下さる方々を信じていくこと、そしてコミュニケーションを取ってお互いをより知っていくことが大事です。
ご縁はとても不思議なものです、自分で考えられる範囲をはるかに超えて色々な巡り合わせがあり、いろんな出会いが恵まれるものですからね。どうかご縁を信じて下さいね。未来はだれもわからないですけれども必ず善きご縁に恵まれますからね。
あなたがこれからの未来を素敵なご縁に恵まれながら、大切な方々とのつながりお互いを尊重し合いわかり合い、大切な方と心から仲良く幸せに生き抜いていかれます様にと切に祈っています。そしてあなたを心より応援しています。
質問者からのお礼
TAIKEN様→回答ありがとうございます。物事には理由や原因があって、結果がある。確かに、焦っている部分はあります。なんだか自分だけ出来損ないのような気がして。余裕のない人は魅力的ではありませんものね。少し落ち着こうと思います。
Kousyo Kuuyo Azuma様→
人を信じないと絆は深まりませんよね。つい疑ってしまうのです。ただ、自分が信じるべき人達を見極めるのも人生の練習なのかもしれませんね。