全世界同時安楽死ガスがあったとして
これは過激な提案であり、思考実験であり、私の望みです。
私の望みは、ありとあらゆる生命が、一瞬で、同時に、何の苦しみもなく死に絶えることです。私はこの世界に心底失望しており、肉体という物質からの脱脚を強く望んでいます。五感と意識を手放し、何も感じなくなりたくて仕方ありません。
自殺してもこの世界がある限り、また生まれてしまう可能性から逃れられません。それに絶望して、「何もないこと」を希求するようになりました。
人間は「全世界同時安楽死ガス」を開発するためだけにここまで進化したと思っている部分があります。
全生命の生殺与奪権を一部の人間が握ることになる点、自然に続いている生命を人為的な手段で終わらせる点、今まで誰もそんなことを言わなかった点を除けば、私の提案は遠い未来に訪れる太陽の消滅や阿弥陀様のもたらす救いと同質ではないでしょうか?
「存在しない」以外の希望がどこにも見当たりません。
生命の本能は他を侵害することにあります。人間だってその本能から逃れられていないばかりか、「自分を大切にしたい」という欲望のままに他者を排除する時代です。
今まで見て見ぬふりをすることでうまいことやっているように見せかけてきた沢山の苦しみが「多様性」や「人権」という言葉のもとに噴出し、その結果は今まで以上の苦しみの再生産です。
善意なんてものは、もともと神話の遺物でしかありません。
何かを犠牲にしなければ社会は成り立ちません。
ならば、全て消し去ってしまった方が良いとしか思えません。
「全生命同時安楽死ガス」が間違っているのだとしたら、私はどうすれば
良いのでしょうか?
苦しみが避けられない「生命」というシステムを心の底から憎悪し、「存在していたくない」としか思えない。 否定されるのが当たり前すぎて何もする気が起きず破滅思考気味。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
何のためにここに書き込んでいるのですか
こんにちは。
あなたの文章は、全体的に断定と結論ありきで構成されています。
まず、ご自身の胸に一度尋ねてみてください。
ここに質問を書いた上は、その回答を尊重し意味あるものとして考える用意が自分の心の中にあるか、と。
前回の回答の先生が、お釈迦様のことをご紹介されたり、この世は「絶望するには勿体ない」よとお声がけされていました。これに対し、あなたは返信で「お釈迦様が悟られたと言われても、時代が違いすぎてしっくり来ませんでした」と早々に退け、自分の「理性」で「ありとあらゆる生き物は存在してはいけないという結論に至ると確信」していると書いていました。
あなたは、ここに何のために書き込んでいるのですか。
回答者のアドバイスを、まずは意味あるものとして十分な時間をかけて検討べきではありませんか。ましてや仏教という分野は一生かけても学びきれない分野です。それを、一言のもとに退けるとは。自分の見識不足に対する謙虚さが足りないのではありませんか。相手への尊重が足りないのではありませんか。
自説を譲らず、相手への尊重がない。
一体、自分がここで何をしようとしているか。あなた自身が分かっていないのでは。
あなたの根本の問題は、自分が自分で何をしようとしてるか分かってない、これです。
「ガス」云々以前の問題です。
あなたのお考えを読ませて頂きました
拝読させて頂きました。
あなたがそれほどに追い込まれておられること、生きることに苦しんでおられるのかと想像します。あなたは今さながら地獄の苦しみの中で生きておられるのかもしれません。詳細なあなたの思いや苦しみや悩みはわからないですけれど、あなたがその様に考えてしまう状況にあるのかと思います。
今あなたが望んでいらっしゃることを文字として記してみて、あなたはいかがでしょうか?どうお感じなさいますでしょう?そしてその様な計画やアイデアはどうでしょうか?
急ぐ必要はありません、あなたのこれからの未来の中でお考えなさり見つめていってもいいかと思います。
あなたがその様なお考えになさることも無駄なこととは思いません。生きている中では様々な紆余曲折がありますし、どうしようもないことやどうにもならないことにぶつかったりもします。
自分も含めて一切認められない受け入れることができないと痛感することもあるでしょう。
あらゆるものごと全て消えて無くなれ!と思ってしまうこともあります。自分を憎み、人を恨み周りのありとあらゆるものごとを呪い全て抹殺してしまいたいという気持ちになることもあります。
そして今あなたが思っておられることも永遠思い続けられることではありません。次の瞬間にはまた別のことを思っているかもしれませんからね。ものごとは全て移り変わり往きます。
時間という毒ガスで瞬間ごとに死んでいる
私達の心は瞬間ごとに浮かんで消えるので、「私」は瞬間ごとに新しい自分に生まれ変わっています。
一人一日のうちに八億四千の念あり、と法然上人が言われました。
心を映画に喩えるなら、24時間の動画は8億4千コマの画像からできている。
ですから、ただ空気を吸って吐くだけの1コマの「あなた」もいます。
もちろん、他の生命を殺したりする瞬間の「あなた」もいます。
生まれ変わってしまう、新しい場面、次の1コマにつながってしまうとしても、大部分のコマは空気を吸って吐いているだけの平和な場面なのです。
そして、私達は瞬間ごとに生じて滅しているのだから、毒ガスを吸わなくても瞬間ごとに死んでいる。
記憶データを受け継いでいるから同一人物だと錯覚しているだけで、実は瞬間ごとに別人に入れ替わっているのです。
毒ガスで死ななくても、「すでに生物全員が毎秒毎秒死に続けている」と気付くだけで良い。
時間という毒ガスがすでにあるのです。
字数制限で一部です.ます省いてます 失礼しました。
前の質問等も拝読させて頂きました。一つの意見としてきいて頂ければ幸いです。
何か犠牲にしなければ社会は成り立たない、自分を大切にしたい欲望に従い他者を排除する、存在の罪の存在、生まれたことへの感謝に感情がおいつかない。私もそう思います。生きることは悪であるという、都合の悪い真実を見て見ぬふりしているだけ。私は否定できません。(特に今は)テレビ等を見ると、運の良い人間しか生きられないとも思ったりします(貴方の文章中のニュアンスとは違いますが)。
それでも「全生命同時安楽死ガス」が間違っていると言いたいです。その前に伺いたいのですが、善意というものが神話でなかったとするならば、貴方にとって善意の存在は『「存在しない」以外の希望』になりえますか?。
大乗仏教で「空」という教えがあります。それによれば、この世には善も悪もありません。なぜならば、それらは人(衆生)が作り出した概念だからです。確かに定義者.観測者がいない世界には善悪など存在しようがありません。しかし、(仏教では善・悪の対立やそれに準ずるものに言及はしないとしても)人間はそのような言葉をつくりました。仮に、この世に善が存在しなかったとしましょう。そこで、どのように悪という概念を創出できるでしょうか。貴方は悪という言葉を使っています。貴方は、悪がなにかわかっている。それは、過去に善を、善意を経験しているからだと思うのです。悪しか経験してない生物が、悪を認識し、概念化できるとは思えない。
そして何より、前の投稿等を拝読して、私には貴方の中に悪意と共に善意があることを疑えないです。私には、現状からの脱却の根拠を探して鬱屈とし、自身の望みの間違いを想定し他者に意見を求める人間に善意が存在しないとは思えない。善意が生きる希望になりえるのなら、希望が存在しないことが死を肯定すると仮定するならば、私は「全生命同時安楽死ガス」は否定する。前述に従い、貴方の中に善意があると確信しているからです。「全生命」に、貴方は含まれるから。
だとして、宇通呂さんが最もききたかったと想像する最後の文章、および前の質問を含めた問答等の答えにはなってませんね。私には回答できませんでした。申し訳ない。
私には貴方の苦しみの10%も理解できていない。それでも、世界に善意は存在する、なぜなら貴方に善意があるからだ。そう言わさせて頂きたいです。
どのみち本人が望まぬ安楽死は負の共有 真の善意を求め共有する
思考実験ですから、別に考えることは自由です。
実験は他人に迷惑を掛けたら被害者が出ますので、他人に迷惑をかけないように実験すればOK。この実験も過程として花を咲かせればいいんです。
みんなで怒られちゃかわいそーですからフォローしておきます。
できれば、その実験を進めてさらに「ありとあらゆる生命が、何の苦しみもなく快適に❝生きられる❞方法」の答えをください。
青酸カリも金属メッキには必要。テロで使えば狂気。核も兵器で用いれば人が死ぬ。原発で電気にすれば多くの人が助かる。
あなたのそのアブねー💀発想もハサミを凶器にするしか方法が見いだせないようなもので人類を向上させようという向上心や菩提心に転じないと負の共有でみんなタヒね思考に陥ってしまう。
この世界に心底失望したならばこそ人は菩提心を起こすべきなのです。
「何もないこと」を希求するならばあなたが脳内で「有」を破ればいい。
その昔「破有法王」という人がいました。
臨済曹洞宗で印可証明を得た天才僧侶で12歳で東大に入学した森鴎外も大絶賛の天才僧侶です。彼の公案回答集は海外でも出回りひろさちやも翻訳しました。
あらゆる「有」を滅するには自己の内なる「有」を滅すればよい。
人畜無害な「全世界同時安楽死ガス」の開発なら釈尊や大悟者がとっくに完成済みです。
世界は「唯心造」。
あなたの壮大な妄想もビジョンもONLY貴公の頭の中限定ナリ。心が縁に触れ事に触れそれを想像し創造しこれに至る。
遠い未来に訪れる太陽の消滅や阿弥陀様の救いもその時になるまで騒ぐ必要はありませぬ。今がヒルなら明日のヨルを決めつけ、まだかまだかと足元の光を損ねる生き方に疑問を持つ。
生命の本能が他を侵害することならば、どうして切れ味鋭い剣で自分のその虫も救えぬ我をこそ斬らぬ。我に己を統治させない剣こそが他の存在も「自分を大切にしたい」気持ちがあることに気づく智慧の剣だぞ。
「多様性」や「人権」は悪意で用いられるから当方の人権や多様性が攻撃される。だから正す必要がある。私もネトウヨと誤解されながらもバシバシとウソの多様性やウソの人権を破っております。善意はその善意が悪意に悪用されるから日本の左翼民のようにおかしな世論を展開させる。世間知らずの僧侶が悪意の活動家にそそのかされるようなものでしょう。神話も導く方向性を読み取れなければ善意を悪意で読み取っているだけ。
質問者からのお礼
脳味噌を加工して「理想的な人格」を作らなければ私に生きる権利はありません。
「そう考えるあなたに問題がある」。
いつも私に向けられる言葉です。
やはり私に人権などなかったのですね。
それなのに死ぬ権利、存在しない権利すらない。
私が生きていることそのものがこの世界から私への嫌がらせでしかありません。