自死した娘の命日を迎えるのが怖いです
いつも相談をさせていただきありがとうございます。
数ヵ月に昨年亡くなった娘の命日を迎えます。その日に私は自分自身がどうなってしまうか、とても怖いです。
娘が亡くなったとき、数日間私は長女の引越の手伝いに通っていました。その日はそんなに疲れていないのに夕方なぜか胸の痛みと息苦しさを感じていました。
しんどいなと思いながらなんとか帰宅していつもどおり夕飯を終えてくつろいでいた夜9時過ぎに、娘の異変を知らせる電話が入りました。
警察署でさまざまな手続きを終えて検死をした医師から渡された死亡診断書に書かれた死亡推定時刻は、私が息苦しさを感じていた頃と同じ夕方5時頃でした。
私の体の不調は娘からのメッセージだったとすぐに思いました。娘は私のことが大好きでした。心や行動が不安定だったときも「いちばんの理解者でいてくれてありがとう」と書いた誕生日カードをくれました。
最期まで私を思っていてくれたんだと思っています。その娘が死を選ぶまで何を悩み何に苦しみ、どんなに絶望をしたのかを思わない日はありません。
そんな中で迎える命日は、きっと朝から「去年のいまごろあの子は…」「この時間にこうしてあげていれば…」と考えるに違いありません。そうして絶命した時間を迎えるとき、私は自分がどうなってしまうのか、正気でいられるのかわかりません。
とても怖いのです。
本当に怖いです。
その時をどう迎えればよいでしょうか。また、それまでに今から私ができることは何かあるでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ひとつのご提案
えむえむさん メッセージを拝読しました。娘さんが自死されて哀しみは計り知れないものです。身体の一部が無くなってしまった、そんな喪失感なのだろうか、と文章を拝読しながら辛い気持ちを追っておりました。
お住まいがどちらかわかりませんが、大きな都市であれば自助グループがあることがあります。同じような死別を経験した他の方々との交流が、計り知れないほどの助けになることがあります。例えば、名古屋市では以下のように紹介されています。
https://www.inochi-akari.city.nagoya.jp/message/group.html
同じ経験を持つ方々の話しを聴き、また聴いてもらうことで、今感じている孤独感を和らげる糸口が見つかるかもしれません。大切なのは、育て方が悪かったのでもなく、親や友人が間違ったことをした結果ではないことを知ることです。社会的要因、ご本人の気持ち、精神状況、さまざまな要因が組み合わさり、何が原因だとは言えないと思います。
私は10年程前に親友が自死をしました。亡くなる五日前に新宿の喫茶店で会い、貸していた本などを返されました。「読み終わったの?」と聞くとまだだけど返す、とのこと。今思えば、その時に彼女の意思は決まっており、私は何も気が付けず、そのことをずっと悔やんでいました。気付いてあげれなかった、という罪悪感と悲しみがずっと続きました。私が、在家出家したのは、その経験も関係しているのだろうと思います。出家を勧めているのではなく、親しい人の自死は生き方そのものが変わるほどの影響力があるということ。罪の意識を感じてしまう、現状を受け入れられず苦しさが続くことは、身近なものであれば尚のこと、避けられないプロセスであるのかもしれません。
えむえむさん自身も、心が傷つき疲れていると思います。そんな自分を否定せず、そのまま許してあげて下さい。私たちは、痛みに満ちた世界に生きています。しかし、人の痛みというのはなかなか理解しにくい世界でもあります。だからこそ、痛みを知っている方々との交流が何かの支えになりうるだろう、そう思います。
機会があれば、自助グループを訪ねて頂きたいと思いました。娘さんのご冥福、そしてえむえむさんの心の安寧をお祈りしております。
質問者からのお礼
慈正様
とても優しいご回答をありがとうございました。
頂いた文面を何度も読み返し、その度慈正様が私の心に共感し寄り添ってくださっていることを感じました。温かな慈しみに包まれ、恐れが和らぐ思いを感じています。
自助グループに参加することを考えていましたが、負の感情が増すだろうと考えてそれが怖くて踏み出せずにいました。今は
決してそのような場ではないと考えられるようになりました。
近いうちに参加してみます。
優しいお気持ちとご回答を賜り、本当にありがとうございました。