実家がなくなる事が寂しいです
近日中に、実家を売ることになりました。
私は地方から関東に出て暮らしている身であり、地元の実家に帰るのも年に2回程度(お盆と年末年始)なので、「将来的な事を考えたら、この家をいつまでも残しても仕方ない」という両親の判断です。
両親も定年を迎え、これから老後の暮らしをするに当たって、この家は広すぎるというのもあるようです。
両親は今後、こじんまりとしたマンションに暮らす予定です。
私としては、両親が話し合って決めた事なら口を挟むつもりは無いですし、実家を売る事にした理由も頭では理解出来ますが、やはり寂しいです。
物心ついた時から住んでた家なので、沢山の思い出があります。
現在、引越し手伝いのため一時的に実家に帰ってるのですが、ときおり感傷的になります。
実家を離れてずいぶん経ちますが、私にとって実家は故郷の象徴であり、なくなるとなると心にポッカリ穴があくような感じです。
子育てには最高の環境な家なので、もう高齢者になった両親がいつまでもここで暮らしたり、社会人になった私がたまに帰省で帰ったりする頻度で過ごすよりも、これから子育てをする若い夫婦に住んでもらった方がこの家にとって良いんだろうな、とは思ってます。
その思いと、実家がなくなる寂しい思いが渋滞している状態で、あまり心の整理がつきません(とりあえず家の写真は撮りまくっています)。
こういう場合、時間が解決してくれるものでしょうか?
どんな心構えで過ごすべきでしょうか?
よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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諸行無常とは言うものの...
拝読させていただきました。私の経験に重なるものがあり、多少なりとも共感いたします。
私は「今感じている苦しみを消すには?」という点から、述べさせて頂きたいと思います。
私も実家を離れて東京で暮らしています。実家にはたくさんの思い出があります。これは「実家に執着がある」とも言えます。仏教では「執着(渇愛)」は「苦しみ」を生む原因だと考えます。これは共感して頂けるのではないでしょうか。では「苦」を消すには..?。「執着」を消せばよいのです。そのために「執着してしまう自分の心」を変えればよいのです。これが修行ですね。
このように初期仏教では苦しみを消すには、「自分の心のありかたを変える」しかないと考えます。もっとも、この過程に自分から積極的にアプローチしなくとも、物や環境と同じく、時間とともに自分の心も変わっていきます(諸行無常)。
しかし、だとするならば、いずれ今のやるせない気持ちや寂しさが和らいだ時には、「自分の心が変わってしまった」とも言えます。かつて生活をしていたご実家で、その時には別の家族の物語が紡がれているであろうように、万物は移ろい行くのです。
修行僧であれば、法(教え)にしたがって積極的に自分の心を制御し、今のやるせない気持ち、ともなう「苦」を取り払うことでしょう。しかし、磁石さんは今の気持ちに対して「苦」だけではなく、大切ななにかを感じていらっしゃるように思います。それは思い出であったり、思い入れであったり、複合的かつ複雑なものでしょう。私は、その複雑な気持ちは大切にしてよいものだと思います。
時間が今の「苦」をどう変化させていくのかわかりません。しかし、今の心が変わっていくのは確かです。
心構えとしては、
『「今の気持ちを抱いている自分は必ず変化していく」ことに備えておく』
ことだと思います。写真に加えて、今の気持ちを綴ってみてはいかがでしょうか。タイムカプセルのようにメモを封印しておくのもいいと思います。いつの日か、今を振り返るときに、より解像度を上げてくれると思います。
それらは「執着」→「苦」を呼び起こすものかもしれません。それでも磁石さんは、今大切にしているものを再び鮮明に意識し、それは「苦」に勝るものだと思います。
追記:ここで述べた仏教は、特に初期の仏教を指しています。私自身未熟な身です。ぶしつけな回答をお許しください。