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ペットの死が怖いです

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私が小5の時、家の裏で鳴いていたのをきっかけに、猫を飼い始めて今年で12年です。人間でいうと、おばあちゃんぐらいです。

最近、ちょっとずつ猫の体に異変が起きているように感じ、もうお別れを覚悟しなければならないと思っていますが、猫は家族の中で一番と言っていいぐらい、私に懐いてくれていて、その思い出があるので、泣いてしまうぐらいとても苦しいです。

飼わなければ良かったかな、と思っても家の裏にいたのはやっぱりそういう縁があったからだと思うのです。一時期、家族の中で問題が起きた時も猫がいたから救われた事もあります。

まだ生きてはいるものの、いつまでかは分からない。これからどのような心構えで過ごしていけば、その時がきたとき、ちょっとでも心は軽くなるでしょうか?

2022年4月7日 22:58

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

一緒に過ごした全てのものは、あなたの中で消えたりはしません。

あなたにとって、大事な存在、大事な命ね。こんな寂しく辛くなるなら、飼わなければよかったと思いながらも、あの子との時間は多くの喜びや幸せに満ちていた。
出会ってよかった。やっぱりそうですよね。

この世は無常、移り変わり、留まることはありません。だからこそ、この瞬間 瞬間が、特別なものであり、大切に思っていけるのです。
変わることがなければ、ここまで想える私であったのだろうか。何をしても、変化もなく、離れる日はやってこなければ、これほど大事に関わっただろうか。
生きるものだから、その変化や反応に喜びや感動が生まれるものですよね。

限られた時間を大切に、一緒に過ごしてくださいね。この家の子になれて幸せだったと、思ってもらえるように。

一緒に過ごした全てのものは、あなたの中で決して忘れたり消えたりはしません。
だから人は、別れたあとも、亡きいのちを想い、手を合わせるのでしょうね。
心で生き続けるからこそ、手を合わせる先に、また会えるように感じるのだと思いますよ。仏法は、そこを説いてくださっています。あなたも、あの子との縁だけでなく、こうして繋がった縁を、仏縁に繋げてくださいね。

2022年4月9日 13:46
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有り難し
おきもち

はじめまして(*^^*) 中田みえです。 教善寺 住職として、母親として...
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質問者からのお礼

回答して下さりありがとうございました。
こうして家族としての縁があったことを心から感謝して、大切にしていこうと思います。

「動物・ペットについて」問答一覧

新しいハムスターのお迎えについて

こんばんは。 去年までハムスター3匹と暮らしており、みんな立て続けに寿命で亡くなってしまいました。 はじめてお迎えした子が亡くなって1年経ったこともあり、やっと少し落ち着いたため新しい子をお迎えするか悩んでいます。 ただ、私はあの子たちとずっと暮らしたいと思っていたので、新しい子をお迎えすることで前の子たちの代わりみたいにしてしまうのがすごく嫌で迷ってしまいます…。(代わりだとは思っていないのですが、なんだかそういう気持ちになります。) また、元々あった3つのゲージも、床材の掃除はしましたがいまだに片付けることが出来ず、元あった位置に置いてあり、そのゲージを消毒して新しい子に使うのもなんだか嫌で…。 新しい子を迎えることで前の子たちの記憶が薄れてしまうのではないかとも思って怖くなります。 お迎えしたら絶対に今までの子達と同じように可愛がる自信はあるのですが、まだ自分の中で受け入れられきれていないのか、"寂しいからお迎えする"とかこんな気持ちのまま新しい子をお迎えしてもいいものか…と色々考えてしまい、なかなか踏み出せません。 いつも元々いたハムスターたちに「君たちが世界で1番好きだ」と伝えてました。 新しい子をお迎えすることで、この気持ちが嘘になってしまうのではないかとも思ってしまいます。 やはり、きちんと気持ちに整理がついてからお迎えを検討した方がよろしいでしょうか?

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人として最低なことをしました

どんなことを書き連ねても言い訳をしてるようにしか聞こえないのでなるべく端的に書きます。 家に迎えて間もない子犬を手放す選択をしました。 私は幼少期からアレルギーがあったことから、犬を飼うことや触れ合う経験すら少ない人生でした。しかし、大人になってから症状が和らいだこともあり、アニマルカフェやペットショップに行って動物たちに癒されてました。 夫や子供たちが犬を飼いたいと言っている中、ある日トントン拍子に子犬を飼う方向に話が進みました。いつも拒んでいた私も、「この子なら大丈夫かも」と淡い期待を抱いてしまったのが過ちでした。 きっと私はアレルギーなんて関係なく動物を飼うこと自体に適正がありません。もちろん、犬を虐待するなんて考えられませんし、お迎えした子はとても可愛かったです。 逆に、大切にしたい気持ちや幸せにしなければいけないという気持ちが強すぎたのか、そのプレッシャーに押し潰されそうになり不安が大きくなってしまいました。 犬は私にとって特別です。飼い方や躾についてもたくさん勉強しましたが、それらをしっかりできないと飼い主失格だし、世間の愛犬家さんたちに見張られてるという気持ちになりました。 飼うことに決めた日から不安で勝手に涙が出るようになり、お迎えしてからもそれは変わりませんでした。夫には何度も相談して、その度に前向きに考えられるようになったり、また不安に襲われたり、二重人格のように感情や発言もコロコロ変わり、完全に情緒不安定になりました。 結果的に、里親様にお譲りすることになりました。絶対幸せにしてくれると確信できる方と出会うことができ、あの子は今ごろ里親様と穏やかにのびのびと暮らしています。(今後も連絡や会いに行く事を歓迎してくださる方でもあります) ただ、自分を責める気持ちがおさまりません。毎日「無責任」「非常識」「最低な人間」と頭をよぎります。誰一人責めてきませんが夫や子供たちにも申し訳ないです。振り回してしまった分、もう夫にも犬については相談しづらいです。 私ってこんなに弱くて非情な奴だったんだと絶望を感じます。犬も飼えず投げ出すなんて人でなしです。 たまにまだ服についてるあの子の毛を見つけ、悔悟の念で涙が滲みます。 この先もずっとこの過ちを背負う覚悟です。動物はもう飼いません。 私は自分の起こした事実とどう向き合っていくのが正解でしょうか。

有り難し有り難し 20
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