亡き親友の納骨時の骨壺へ物を入れて良いか
先日、大切な親友が亡くなり、今月で49日を迎えます。
お墓への納骨となりますが、仮にご親族の了承が得られたという条件で、
お骨壺の中へ御守りや手紙、また今後も一緒に居たいという意味で自分の切った爪などを入れるというのは非常識でしょうか?
自身がお墓に一緒に入るという訳にはいきませんが、遺品として髪の毛や爪などを残すということもあるのならば、
逆に自身の分身のような考え方で、切った爪を一緒に入れるのはどうだろうかと考えました。
それで、自己満足かもしれませんが、自分が今後も親友の近くに居られるような気もします。
なお亡き親友の家庭は臨済宗で、法要もその考えで行われています。
よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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「了承」を求めること自体控えたほうが良い
こんにちは。
「大切な親友が亡く」なったとのこと。
お悲しみをお察しします。
私は浄土真宗ですが、ご参考のために回答します。
というのも、ご相談内容は宗派の違い如何と関係がないように思えるからです。
ご相談内容が受け入れられるかは、「ご親族の了承が得られ」るかどうかにかかっていると一応は思います。この可能性(日頃からどんなお付き合いなのか)は、第三者には分かりません。
ただ、親友とは言え「自分の切った爪」を入れさせて欲しいと願うこと自体、ご遺族を少なからず困らせることになると思います。亡き我が子の親友であるあなたの思いを無下には出来ない。かと言って、一族のお墓に他家の他人の身体の一部を入れることには抵抗がある。どう返答したら良いか、と困ることでしょう。
あなたにとって「親友」は大切だったし、今も大切なのでしょう。
しかし、今回そのお墓に入るのは「親友」だとしても、過去に入ったそのお家の先祖、その親戚、後に入る方々の気持ちをあなたはどう考えているでしょうか。私は常識「非常識」の問題というより、ご遺族とその一族の過去、未来の方々の心を察した上で敢えて「了承」を得ようとしているのかを今一度考えてほしいです。
こう考えていくと「お骨壺の中へ御守りや手紙」も同様に考えられると思います。このため、「ご親族の了承」を求めること自体控えたほうが良いでしょう。
形よりも「臨済宗」或いはあなたの宗派で故人をどう位置づけるのか。その教えを学ぶほうが、よりあなたの今後に資すると思いました。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
形ではなくどう位置づけるのか、考えていきます。