複雑な家庭環境でお墓に迷っています
2年前に母を亡くし、未だにお骨が手元にあります。
父は既に他界しており、自分で購入した、家のお墓に入っております。
しかし母は後妻で、家のお墓には先妻の方が、父の生前からいらっしゃいました。
母が自分の埋葬について具体的に語ったことはありませんでしたが、そのお墓には入りたくないような素振りを見せていたので、父とは別に埋葬することにしました。
私にはきょうだいがおりますが、私の母と戸籍上の繋がりはなく、折り合いも悪いので、決定権は全て私にあります。
私は母が他界した時点で、慌てて急遽樹木葬のお墓を購入してしまったのですが、後から思うところが次々出てきて、まだ納骨せず、現在に至っています。
私には経済的余裕がそこまでなく、人に促されるまま、母のみが入る「1人用」のお墓を、近所に購入してしまいました。
しかし母は嫁ぎ先のこの街が特に好きではなく、故郷をいつも恋しがっていました。
母を、好きでもなかった街に、たった1人で埋葬してしまっていいのか?
もし私がこの街を去ることになれば、母を1人きり、永遠に残していくことになってしまいます。
それなら金銭的に思い切ってでも、私と共に入れる2人用のお墓を買い直すか、母の故郷にお墓を買い直すか、した方が良いのではないか。
随分悩んだものの、私が経済的に苦しいのも事実ではあります。
購入したお墓は改葬ができません。
取り返しがつかなくなると思うと踏み切り難く、しかしながらもう3回忌を迎えようとしている中で、早く落ち着かせてあげたいと思うのも、正直な話親族の目が気になるのも、また事実です。
どこに誰と埋葬したとしても、供養の気持ちが大切だから関係ないよ、というような話も聞きますが、ならばどうして、一族を同じお墓に入れたり、好きな人と隣同士のお墓を買ったり、亡くなった方の好きな場所に埋葬してあげたり、そんなことをするのでしょうか。
私にはもう、わからなくなってしまいました。
やはり、母と一緒のお墓に入ってあげた方が、母は寂しくないのでしょうか?
私が滅多にお参りできなくても、故郷の方が好きですか?
もしどちらも叶えることができなかったら、私の髪や爪を、お骨と一緒に埋葬したいと思っています。
この行為に問題はあるのか、また意味はあるのか、永遠に一緒にいられるのか、それも気になっています。
何が最善なのか、どうかお聞かせください。
お坊さんからの回答 3件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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手を合わせて、亡き人を訪ねて行こうとする気持ちがあるから。
亡くなられた後のことも、やはり案じるのが、私たち人間の心情ではないでしょうか。
今どうしているのか、どんな気持ちでいるのか、好きだった場所のほうがいいのか、それとも私の側に…なかなか決められず、手放せないという人もいますね。
後悔のないように、ご本人の意思をちゃんと聞いておくことも、悩みを作らない道だったとは思います。
そもそも、仏教では、墓石の下に亡き人がいるわけではありません。仏様のお救いに遇えば、浄土の世界に生まれていくのです。ではなぜ、お墓が存在するのか。それは、遺骨となって残っていくから。そして、遺された者が、手を合わせて亡き人を訪ねて行こうとする気持ちがあるからです。
人は、目に見て取れるものがないと、気持ちが定まりづらいのです。仏像がいる、お墓がある、お寺がある、お経典がある、手を合わせる先があることによって、仏様のお救いを実感し、亡き人にも想いを寄せられる。それが確かな拠り所となっていくのです。
ですから、私たち見れば、お墓も皆一つのところに納めていけば良いのですけれどね。なかなか人間には執着というものがありますから、ここでは嫌、一緒には嫌、という想いからも離れられないのでしょうね。
まさに、今回の悩みのように、人間の執着が迷いの悩みを生んでしまうのですよね。気にせずに、皆 仏になっていかれたのですから、同じ一つの墓に納めていくのが、一番良かったとは思います。その中にいらっしゃるわけではないのですから。
ですが、遺された家族にとっても、複雑な想いを新たに生んでしまうのであれば、別の場所へ納めていくしかありません。
僧侶としましては、同じ墓に納めて何ら問題のないことです。別にしたいということであれば、あなたがお決めになられる場所への納骨し、これで良いのだと納得していくより他ありません。
本来ならば、日頃から付き合いのあるお寺さまとご相談なさりながら、進めるのが一番なのですけれどね。納骨法要もきちんと参っていただいてね。
そういったことも、お母さんが言い残しておられたら、安心だったのですけれどね。
納骨だけでなく、あなたのおそばに、ご本尊を安置なさり、いつでも手を合わせて参れる環境も大切になさってくださいね。
あわてずに冷静にお考えなさってみましょう
拝読させて頂きました。
あなたがお母様のご遺骨をどうすればいいのかとお悩みなさっておられることを読ませて頂きました。詳細なあなたやお母様やご家族の方々のことはわからないですけれども、あなたがとてもお悩みなさっておられること心よりお察しします。
そうですね、なかなかどうすればいいのかとあなたは迷っておられるのですね。
人それぞれ考え方や価値観がありますし、今後のことを考えるとどうすることが望ましいのかと悩んでしまうでしょうね。
ウチのお寺ではそのように迷っていたり悩んでいる方のご遺骨をお預かりしたりしていますし、ムリに納骨をおススメはしません。今後どうなっていくかはなかなか先が見えないですからね。ですからご自宅でしばらくご遺骨を安置なさっておられる方もいらっしゃいます。
最近は墓じまいブームで何でも急いで墓じまいしなければならない様にマスメディアや葬儀・墓地業界があおっています。
その様なブームに乗ってしまうのは私は問題があると思っています。ですからあわてて決めずによくよくご検討なさることが望ましいと私は思います。
納骨しなければ成仏しないということもありません、またあまりお骨にこだわりすぎるのもどうかと思います。
ですので落ち着いて今後のことを冷静に考えながらどうすることが望ましいのかご検討なさって下さいね。
あなたがこれからもお母様やご先祖様とのご縁を大切になさり心を込めてご供養なさいます様に、お母様やご先祖様にあなたや皆さんが見守られて毎日を健やかに生きることできます様に心からお母様やご先祖様にお祈り申し上げます。至心合掌
お墓は、遺骨を預かっている場所です。
ゆうまさん、こんにちは。ご相談を拝見しました。まずは、お母様のご冥福を私からもお祈りいたします。
文章を読ませていただくと、確かに二重の悩みをお持ちなのですね。
①お母さまにとって何が最善のお墓か
②その弔いの形を、あなたがどう受け止めて落ち着けるか
この二つは似ているようで別の視点です。
まず、お墓とは「お骨を納めているだけの場所」です。仏教では、亡くなった方の魂は骨や墓石に縛られているのではなく、縁のあるところに届くと説きます。つまり、供養の心があれば、場所によらずその功徳は故人に届きます。ですから、「母のため」と「自分が通いやすく供養し続けられるため」の両面で考えるのが自然です。
それでも人は古くから「誰と眠るか」「どこに眠るか」を大事にしてきました。これは単なる感情だけではなく、縁を後世に引き継ぐためです。同じ墓に入れば、その後の世代も一緒にお参りしやすくなります。ですから、判断の軸は…
場所の縁(近さ、ゆかりの地)人の縁(誰と共に眠るか)の2つです。
髪や爪を納めることは、法的にも宗教的にも大きな問題はありません。念のため管理者に確認する程度で大丈夫です。その行為は、想いの象徴として「共に眠る」心を表すことができます。ただし、物理的に一緒にいるというより、「心で結ばれた縁が続く」という意味になります。
お母さんの意思がもう分からないのであれば…あなたにとっての供養のしやすさにを優先した場所を選ぶことです。「これなら、お母さんとの縁を紡いで行けそうだ」という決心と判断が、あなたをお参りに向かわせてくれるでしょう。
お寺でも、「ご縁を続けられる方向に考える」ことは大事にしています。「これでお終い!」にしない形を、選べるといいですね。