縁を切った友人を気にしなくなりたい
数年前に友人を切りました。
とある趣味で知り合ったAは私より25歳ほど年上でした。
歳は親子ほど離れているものの気が合い、毎晩電話をする仲でした。
いつからか電話の中身はAがBという人を貶すものになっていました。
Bは所謂「有償活動」をしていました。お世辞にも上手いとは言えないBの販売実績は3年経っても0のままでした。
AがBを貶すのはこれが理由でした。
恐らく、自分ですらやっていない有償というセミプロの土俵に立っていることが許せなかったのかと思います。
結果が全てを物語っているのだしBの見えない所で貶し続けるのではなくAも有償活動を始めて結果で示せば良いと伝えましたが、結局AはBをずっと批判していました。
そこから半年くらい経った頃
AはCという、人を下手だと言い始めました。
Cは販売実績1000件超えの人でした。
完全にやっかみなのも分かっていたので「もうやめなよ」と伝えましたが「なんで、そんなにCさんの肩を持つの?」と言われてしまいました。
しばらくして、私の苦手なDが別の私の友人と作品の合作をするらしいとAから聞かされました。
それに関しては、私はそうなんだ程度にしか思いませんでしたがAに
「あなたは作品が投稿されたら反応する?すごく嫌でしょう?」と笑いながら言われ、その態度に腹が立ちました。
その時は、Aからすぐに謝罪のメッセージが届きました。
そのすぐ後、Aが苦手と言っている人と私が少し揉めてしまいました。その時Aは相手の肩を持ちながら
アンタ(私)が居なくなってくれて清々した!
と言ってきました。
私は何からも居なくなって無いのですが。
そんな事を思っていた人とはもう今後は付き合えないと、それをきっかけに連絡手段を全て断ちました。
今年に入ってAが私のYouTubeのチャンネル登録をしたというメールが届きました。
多分、覗きに来て間違えて押してしまったのだと思います。
縁を切ってからもちょくちょくこういう事が続いており、私のSNSを監視しているんだなとうんざりしています。
何かをする度に同じように他の人に私を悪く言っているんだと思うと、もう本当になんとも言えない気持ちになります。
どうしたら完全にAをどうでもいい存在として自分の中でカテゴリー化できるのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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怨憎会苦(おんぞうえく)
質問拝見しました。
臭いものほどかぎたがるし、見たくないものほど見たがるのは人間の本能ですね。
タイトルにあります怨憎会苦とは四苦八苦の一つ、嫌なものほど避けられず会いやすいというお釈迦様もしっかりと定義している苦しみの一つです。
つまり、お釈迦様も気にするくらいの苦しみと言うことになりますね。
当時の苦しみも思い出すし、嫌な思いや感情も蓋を開けてしまいます。
そういうときは声に出してどうでもいい
と言ってください。
人間は五感を使えば使うほど記憶につよくのこります。
その機能をうまくつかい考えそうになったり思い出しそうになったらどうでもいいと声に出して以降は考えないようにするということを実践なさってください。
質問者からのお礼
ありがとうございました。