不確定な未来に対する不安を落ち着かせたい
初めて相談させて頂きます。
来年30歳になるということもあり、ふとこのままで良いのかと漠然とした不安から始まりました。
老後や両親の死後を考え、一人ぼっちになってしまうと婚活を始めたはいいものの、折角会う時間を確保してくれた相手の方に興味が抱けず、そんな自分を嫌悪する日々。
そんな中で悲惨なニュースを朝晩のタイミングで見てしまったこともあり、家族を失ったその姿に自身を重ねてしまい、両親の失った時の瞬間を想像して悲しくてつらくて苦しくて、情緒が不安定になってしまいました。
こんな話、両親にはできません。人はいつか死ぬもので、逃れられないものです。身体の衰えも、私以上に自覚しているはずですし、結婚もしないで家にいる娘を不安に思っているでしょう。
結婚はしないと言い張っていたこともあり、「結婚しろ」とは強く言われていませんが「良い人を見つけられるようにしなさい」と父にそれとなく諭されていた時があります。
兄弟がいないので、両親がいなくなると一人になってしまうから。実家以外に居場所を作ってほしい、友人でもいいから頼れる人を増やしてほしいという気持ちがあったのだろうと死を意識した今ならわかります。
母もできるなら結婚して欲しいという願いはあるけど、無理はしてほしくないと言います。
今は情緒不安定になり涙が止まらなくなり、どんな風に笑っていたのかすらわからなくなってしまい婚活は止めました。親の前で泣くと心配させてしまうから、寝静まった夜、泣く日が増えました。帰宅中の自転車を漕ぎながらぽろぽろ涙が溢れるときもあります。
最近は両親の死の前に、認知症等が起きた場合の介護も必要になるかもしれないんだと気付き不安がさらに強くなってしまいました。
変わらない明日はなく、私も親も日々老化していきます。明日か来年か十年後か二十年後かその時がいつくるかはわかりません。このまま泣き続けても良いことはありません。ですが自分でも制御が難しくて、考えないようにしようとすればするほど逆効果で。このままでは貴重な両親との時間も苦しく感じて無駄にしてしまう気がして怖いのです。
文章もまとまっておらず申し訳ありません。長くなりましたが、不安を感じたときに心を落ち着かせるにはどうすればいいかご教授頂ければと思います。
宜しくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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行ったところが着いたところ
あるミュージシャンの詩に「行ったところが着いたところ」という言葉がありました。
あるべき姿、着くべきゴールに到達すべきだとか、素晴らしいゴールを想い描くべきだとか思ってしまうと人生が辛くなる場合がありますね。
しかし、人生はどうせできることしかできないんだから、今できることをできる範囲でやれば良いだけ。
結果としてどこまで歩けるかわからないけれど、着いたところがゴール。たまたま立ち止まった場所が駅。
お釈迦様は、生き物には必ず苦があると悟られました。
苦しみは無くならない。ただ、苦しみの形が変わっていくだけ。
毎日の宿題(苦しみへの対処)は無くならない、ただ、宿題の形が変わっていくだけ。
日々の宿題は満点を採らなくて良い。できる範囲でやれば合格人生。
どんな偉人も、それぞれのできる範囲をやっただけ。
大丈夫、あるがまま、お互い様。
具体的な生活としては、たとえば婚活も、結果にこだわらず、毎月婚活に何時間費やすとか時間だけ決める方法もあります。
掃除に喩えるなら、決まった時間にできる範囲の掃除をする。大掃除みたいに気合の入った掃除を毎日やらなくてよい。
結果にこだわらずただルーティン化するというのを試してみては?
質問者からのお礼
願誉浄史様、御回答頂きありがとうございます。
「苦しみは無くならない。ただ、苦しみの形が変わっていくだけ」確かにその通りだと思いました。
一つを乗り越えても、次、次と表面にでてきます。生きている限り、なくならないのでしょう。
どんなにあれこれ考えても、できることは限られていますし、思い描いた通りにこなすことは難しい……。
「満点を採らなくても、出来る範囲でやれば合格」そのお言葉に、少し心が軽くなりました。ありがとうございます。
最初からゴールを目指さずに、目の前にあるその時にできることからこつこつと頑張ってみようと思います。