自分の感情をコントロールできません
アラサーのプー太郎の者です。
現在親のすねかじりをしながら、国家試験専門の予備校に通っております。
昨夜、朝に目覚ましをかけ忘れたことで親に怒られました。
GW中は講義がなかったため9時前には起きていたのですがiPadの目覚ましを少し遅い時間に設定しており戻すのを忘れていました。
起こしてもらったおかげで講義の10分ちょっと前には到着できたのですが、予備校に通って1ヶ月しか経っていないのにこっちの気持ちが持たないと説教をされたわけです。
その後普段から肝心な時には謝らず言い訳をしてばかりとなじられ、その後国試に受かった友人らと比較をされました。
実家にいる身で……そんなんだから変われないんだ、などと説教が続きました。
その後食事が用意された訳なのですが、初めて親が作った食事のほとんどをビニール袋に入れてペースト状になるまで潰しました。
自分でもこんな残忍な己がいたことに驚いています。
客観的に見てとんでもない脛かじり野郎と思われると思いますが…
ただ色々と両親の喧嘩の件など言い分がある自分もいます。
でもなんだか残忍ななにかが生まれてきてしまったように思います。
私は最終的に日の目を見れない、何も変われない人間なのでしょうか。
なぜこんなことをして(食事の件)後悔すらしていないのでしょうか。
自分で自分が分からなくなりました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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経済的、精神的な「脛かじり」を脱する
こんにちは。
「ペースト状になるまで潰し」た食事を、あなたは完食したのでしょうか。
また、親御さんの前で「ペースト状になるまで潰し」たのでしょうか。もしそうなら、親御さんはどんな気持ちだったろうと気の毒に思います。いくら腹が立っても、親御さんの心がこもった手によるものを、また自らを生かしめる命を見せしめのように「潰」すという行為自体が非常に自己中心的な印象です。理屈の正当性はどうあれ、自分を不快にするものはこうだ、と自分を誇示したかったのでしょう。
あなたにとって、この一件について「後悔すらしていない」とのことです。
あなたの文章を読んでいると、それはそうだろうな、と思います。
ご両親が「普段から肝心な時には謝らず言い訳をしてばかり」だと指摘しているとおりだと思います。今回の寝坊しそうになった一件について「説教」されても、「ただ色々と両親の喧嘩の件など言い分がある自分」(詳細は分かりませんが)などと自分が責められることについて「言い訳」を用意しているようです。
つまり、あなたは自己弁護と自己正当化が恒常的になっている。
だから、自分を否定するものや意見をするものを自動的に却下するルーティーンが出来上がってしまっている。そして、経済的に「脛かじり」のみならず、精神的に「脛かじり」になっている。親を否定することで、自分を成り立たせている。
「最終的に日の目を見れない、何も変われない人間」で終わるかどうかは、あなたが経済的にも精神的も「脛かじり」を脱せられるかどうかにかかっています。「予備校」の学費は誰が負担しているのかは分かりませんが、学業以外は一人暮らしをして衣食住を自分で賄って「国家試験」に受かるぐらいの気概と努力をすべきではないでしょうか。さすれば、親のありがたみ、食事を摂ることができる喜びに自ずと気がつけるでしょう。
質問者からのお礼
コメントありがとうございます。
親には見せず、ちゃんと完食しました。
自分の行動が信じられず反省しています。
以前私は男親に殴られ、脳出血をした過去がありましてそのように書かせていただきました。
死にたくなってきました。
ありがとうございました。