早死に憧れています。
こんばんは。
私はタイトルの様に早死にに憧れています。
私は親にも愛されて、人間関係はメッセージを送っても既読スルーされたり、帰って来なかったりで少し悪いと言うのか分かりませんが、今はストレスもなく、仕事や人間関係が苦しくて早死にしたいと言う感情とは違うのかなと思います。
頭が可笑しい話ですが、事故や病気で若死した人達が羨ましくて仕方がありません。
分かりやすく言えば、両親や親戚、友達よりも早く天国に逝きたいです。
でも自殺はしたくありません。
でも、最近早死にした人は努力や何事にも一生懸命取り組んでいて、心がきれいな人が若くして亡くなってるのではないかと思いはじめました。
私は仕事もしてなく怠けた人生を送っていて、なんの努力もしていません。
やっぱり、人生を一生懸命生きてる人は早死にするのでしょうか?
どうしたら、一生懸命生きようと思えるようになりますか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
今出てきた「問い」を大切にして。
辛い事もないけれど、若死にする人が羨ましいと感じているのですね。早く死ぬことに憧れがある。
貴方の問いは、①人生を一生懸命生きていると早死にするのか?、②どうしたら一生懸命生きられるようになるのかということですね?
どうして貴方はこういう問いを持つのだろうか。その事を考えてみても良いと思うんです。
仏教の考え方から言えば、苦しんでいない人なんて一人もいません。或いは私たち自身が意識していなくても、何かで苦しんでいるのではないでしょうか。貴方も、多分今回書いてくれた問いよりもっと深い問いを、自分も意識できないほどの心の奥底で持っていると思う。貴方がどんな風に生き、何を考えここまで生きてきたのか私は興味があるし知りたいです。何を言いたいかというと、自分の人生をなめてはいけないと思うし、何ができたとか出来ないとか、人より努力したとか、そんなことは比べなくて良いと思うのです。生きていること自体が訳が分からない事態です。そして、死にたくない人も死ななければならない。そのこと自体が苦しみです。だけど、尊いのです。仏教では運命論のような事は一切否定します。したがって、一生懸命生きている人が早死にするということは正しいとは言えません。表面上一生懸命生きていないように見えても、苦しんでいる人は沢山いる。仏教では縁さえあれば、誰だって明日にも亡くなります。そういう命を生きています。だから悲しいし、苦しいのです。そういう存在を業縁の存在と言います。縁次第で何があるか分からない。貴方は一生懸命生きている人に憧れがあるのですか?相談から見える限りでは、今自分を怠けていると自己評価していて、そこに何かあなたの課題というか人と比べて価値で自分を裁いているところがある気がします。別に頑張らなくてもいいんです。生きているだけでいい、それが大前提です。人は勝つために生まれたのでもない、負けて一生しょぼくれるために生まれたのでもないです。勝とうが負けようが生きることを願われているのでしょう?だからここまで生きてこられた。あまり人生の意味をすぐ決めないで良いと思う。とりあえず、どうしたら一生懸命生きられるようになるか、ネットなんかですぐ答えを出そうとせずに、一生懸命考えてみたら良いと思う。色んな人に会って、色んな人の生き方を知って。まず問いを深めることに打ち込んでみては?人と比べず、焦らず。