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反抗期中だからでしょうか?

回答数回答 2
有り難し有り難し 22

今年の4月から高校生になった娘。
すっかり反抗期中で変わってしまいました。

今まで一生懸命育ててきても親への不満もあり
夜も帰ってこないので警察にお願いをして探してもらいました!

学校の先生たちとも話し合って、娘は実家から学校に通うこと
になりました。

毎日、私にはメールをしてくれるのですが
外では親の文句を言っているのでどうしていったらいいか
分からなくなりました。

私が世間体を気にしてるのもあると思うのですが・・・
アドバイス、よろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

友達 未満 親 未満

反抗期ではないと思います。
むしろ反抗期という言葉は忘れましょう。
あなただって夫から嫌な接し方をされればふてくされるし、不機嫌になるし、心の中がもくもくになると思います。
それを面と向かって接してい来ないという事は、あなたはぶっちゃけ子供から❝なめられています❞❝うちの親はこういうイイ顔しておけばいいや❞❝チョロイチョロイ❞と思っていると思います。ごめんなさい。
子供でなくとも、あなたも人生の主人公。子供だって自分の人生の主人公。
あまり干渉され過ぎたり、あれこれ言われれば頭にきますし、ほっておいてほしい時期だってあります。あなただっていつまでも親から何か言われ続ければうっとうしいと思うはずです。
そろそろ尊重をし始める時期なのだと思ってください。
そろそろ親から離れて自分を生きたい年頃なのだと思ってください。
そろそろあれこれ言われたくない年頃なのだと思ってください。
でも❝何か❞あったら心配です。でも何も起こっていないのに毎日のように❝何か❞あるんじゃないかと思い続けていることはとてもつらいことです。
昔は障子もふすまもありませんでした。今は別部屋、鍵付き部屋。
親が観るべきは鍵を開けて娘の部屋をのぞき込むような事よりも、娘さんの様子、態度、本当に大丈夫かどうか。親だからこそ分かる❝能力❞があります。
その直観は信じてイイと思います。
でも根拠も何もなしに少し前でいう所の❝不良❞扱いすることはNGです。
仮に❝不良❞であっても、彼らにはわかってもらいたいサインがあるのです。
それをきっちり理解してあげれば見た目や行いこそ❝反抗的❞❝反発的❞であるように見えても、自分をきっちり生きているんです。❝不良❞といわれた学生たちは何に反発していたのでしょうか。❝親のありかた❞です。
お嬢さんに対する、「ワタクシ化」するレベルを下げてください。
突き放すことの2、3歩手前ぐらいの「尊重、承認、肯定」を大事に、同等に付き合ってみててください。
「お、ウチノ親、分かったみたいじゃん」と警戒心を解くはずです。
友達以上 親未満 であるとベタベタ感があります。
あまり干渉しない程度の距離感。それが友達未満 親未満 です。
何故 親未満なのか。親的態度、親ヅラ姿勢が子供にとって一番嫌われるからです。(^<^)

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

僕の息子も言うことを聞きません。

子供って親の思い通りになりませんよね。

僕も息子をどうにかコントロールしたいです。

でもできません。

なので、「しょうがないな。」と、思っています。

そのままでもいいかな?なんて思ったりもしますが、何とかしたいです。

いい方法を一緒に考えていきましょうね。

「模範回答」でなく「一緒に悩んでいきましょう。」という中途半端なお返事でごめんなさい。

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有り難し
おきもち

質問者からのお礼

回答ありがとうございました。
親は信頼できない、話したくない、一緒にいたくないと周りに言いながら
毎日何事もないようにメールしてきたり甘えてきたり
直接会って話すと反抗的な態度で・・・

友達や友達の保護者の方には、なんて親だ!って言われると思いますが・・・

娘の言いたい放題、やりたい放題でも甘えて勝手に見えてしまうけど、これが反抗期なんですよね・・・

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