お坊さんにも後悔や葛藤はありますか?
随分、ご無沙汰していまして…久しぶりにココに来てみました。
今の私の立ち位置は、障害年金で生活している精神疾患の患者です。
病気の者が、他人にアドバイスをして大丈夫なのか?と思う事もありますが、あるサイトで最近、回答者として、いろんなジャンルの質問と向き合うようになりました。
質問に向き合う事で、自分と向き合っている感じがしています。
絶対的な正解などないと思いますが、一度、お坊さんの想いや意見を聞いてみたいです。
もし、お坊さんがココに来た人に「絶望によって、それまでの生にあった矛盾が炙り出されたことはありますか?」と聞かれたら、どんな答えや考え方を示されるでしょうか?
私には、正直、よく分かりません。
なので、私が思った事を、そのまま書いてみたいと思います。
正解・不正解とかも、私には分かりません。
私の数少ない体験談です。
私に自殺願望がある状態の時、いつも私を気遣ってくれていた先生が自殺しました。
先生が気にかけてくれていたのは、何処かで先生は生きているもの(生きていける人)という前提で、自分を気遣ってくれているのだと思い込んでいたので、先に死なれて、順番が違うよ…と感じました。
死ぬほど苦しんでいたなら、私の声に耳を貸すだけではなく、先生も私に弱音を吐いてくれれば良かったのに、何故…と?
「生きてさえいれば」なんて言えるなら、生きて欲しかった。
絶望によって、生にあった矛盾が炙り出されましたが…時すでに遅しです。
お坊さんでも、「時すでに遅し」と思った事がありますか?
私の勝手なイメージですが、お坊さんはいつも冷静さを保っている感じがするので、何となく「時すでに遅し」までには至らないのかな?などと思ったりしています。
最近でも、「あ…しまった…」となった事がありましたか?
後戻りできない時、どうやってモチベーションを回復させるているのですか?
教えていただけるとありがたいです。
・仕事は資格より素質 ・鬱になろうが5才児ぐらい好奇心旺盛 ・順風満帆な人生より七転び八起きぐらいの人生がちょうどいい
職場で久しぶりに再会した人に「やっぱり~!」と言われることが苦痛
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたの優しさが、誰かに届き、広がっていきますように。
人は、いろんなもの(事情)を抱えて生きていますね。いろんな人に出会って触れて。それでも見ている部分は、その人の一部分なのだと思います。見た(見たと思い込んでいる)一部分だけで、その人を判断し、ときには非難・誹謗中傷する人もいて、悲しくなることもありますね。人を分かりきることは、不可能なのかもしれない。誰かを評価したりすることも、その人の物差しでしかないのだろうと思います。誰かを傷つけてしまうよりも、その人を丸ごと愛していける人間でいたいですね。
あなたの最初の質問。これは、経験してみないと出せない答えだろうね。
あなたの体験談ですが、
あなたにとって先生だったその方も、周りにはわからない何かを抱えておられたのでしょうね。支えだった人が、突然目の前からいなくなる、自死を選ばれたことは、本当に辛いですね。(私も大切な人を自死により亡くしています。いまだに答えも出せず、忘れたことはありません)
「時すでに遅し」
そうですね。亡くして(失くして)気づくこともありますね。永遠なんてないのに、いつまでも続くように思い込んでいて、今この瞬間を大切にすることを忘れがちになるのが人間ですね。そんな経験を通して、大切なものが何なのかを、知っていくのでしょうね。
私は、お坊さんは「悩める人」だと思っています。悩み苦しみを知っているから、向き合おうとする、耳を傾けようとする。それは、仏様に対してもだし、今を生きる人に対してもだと思います。満たされている人は、救済は必要ないのですものね。救済を求めるということは、悩めるからこそ。
冷静さを保っている感じがするのは、受け入れて生きようとしているからではないでしょうかね。もがいて煩悩を燃やしても、自分が燃えてしまうだけです。周りの炎をもらっても、それは同じ。仕方のないことは、受け入れたり、流したり、これからをどうするのかを考える。
何かによって傷ついても、自分に向けられる優しさや あたたかさに手を伸ばし、支えられて生きる方が幸せよね。
あなただから、できるアドバイスもあると思います。あなたの声を待っている人や、あなたのメッセージに支えられている人も、きっといると思うわ。あなたの優しさが、誰かに届き、広がっていきますように。
質問者からのお礼
お返事ありがとうございます。
お坊さんも「悩める人」なのだと知り、とても人間らしい人が身近にいるだなと感じました。
私は自分が病人なのに、他人の質問に答えていて、こんな意見、本当に役に立つのだろうか?と思っていました。
「死にたい」と質問に書く人がたくさんいて、その人に私の言葉はどううつるのか、余計に苦しみが増さないか、悩みに対し悩んで回答している自分に、ふと不安や迷いを感じることがあります。
本来ならそこまでする必要はないのかも知れませんが、私は不器用な人間なので、どんな質問に対しても、一緒に悩んでしまうぐらいに、まるごと受け止め、何度も自問し、回答できる状態に(自分が)なるまで待ちます。
なので、回答も遅れがちです。
お坊さんでも悩むのだぁ…そりゃ私なんかが悩まない訳ないな、とお返事を読んで思いました。
率直なご意見を、どうもありがとうございました。
少し心が休まったような、澄んだ安堵感に包まれています。
質問してみて良かったです。