娘の死は自分の至らが原因と考えてしまう
毎回の相談にお坊様方からの回答とお心を寄せていただくことを大変有難いと深く感謝しております。ありがとうございます、
今回も娘の自死に関わる相談です。
娘が亡くなって一年余りが過ぎました。
この一年の間娘のことを思わない日はなく、命を絶ってしまった原因をわかるはずはないと思いながらも考えにふけることが少なくありません。
わからないが故にたどりつくのは、母親である私が娘の表面的なことばかりにとらわれて、心の中に抱えていたであろう私に聞いて欲しかった苦悩に意識を向けてあげなかった非道さが不幸な結果を招いてしまった、と結論づけることです。
短く要所だけ言えば、亡くなる数週間前に30万円貸してくれない?と言われたのを断ったことが悔やまれてなりません。
なんでも言ってくれれば助けるから、と言ったのに断ったのです。娘にしてみれば、絶望に近い心境に陥ったのではないかと考えてしまいます。
それだけが娘の自死の原因にはならないとも考えますが、自分の思いやりのなさが娘のあったはずの未来を失くしてしまったと
そんな考えにどうしてもとらわれて苦しんでいます。
心持ちをどのようにしたらよいでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
事実を事実として、そのものをそのままに・・・
ご相談拝読しました。過去のものやプロフィールも読ませていただきました。
娘さんのご命終にお悔やみ申し上げると共に、えむえむさんのご心痛にお見舞い申し上げます。
娘さんのことを思うばかりに「なぜ?どうして?」と考えずにおれないことでしょう。原因・理由がわからないことは人間にとって何よりの不安です。愛する人が対象であればなおのことです。
しかしおっしゃるとおり「わからない」という事実は不動のものです。そしてそれでも娘さんはその選択を決断したという事実も変わらないものです。
であれば、原因・理由は分からずとも、そしてけして感情的にはその選択を受け入れがたくとも、それでも愛する娘さんが考えに考えた末に正に命をかけて決断したその選択を尊重する、事実を事実として受け止めるということしかできないのかもしれません。もちろんそれがどんなに難しいかは想像するに堅くありませんが・・・。
私も子を持つ親ですから、もしも将来子にそれだけの大金を貸してくれといわれてはいそうですかと頷けるかというと、そうはできないと思います。それまでにいわゆる問題行動があったならばなおさらのことです。
それでも、それでもえむえむさんはそのご自身の選択を問わずにはおられないのでしょう。
しかし、それは今のえむえむさんだからできることなのであって、当時まだ今後どうなるかを知らなかったえむえむさんにはできなかったことです。
つまり、えむえむさんはその時その自分にできるベストは尽くしていたのです。その自分をあとから情報を得て、冷静に分析もできてからの今の自分が責めても苦しいと思います。
「わからない」ものを「こうだから」「自分のせい」などと決めてしまうことは娘さんの選択を尊重することにはきっとならないのでしょう・・・
事実を事実として、わからないことをわからないとして、娘さんの選択を、過去の自分を、そのままに受け止める。
その上でどうしようもない悲しみやモヤモヤは自助グループや、僧侶との対話やご供養の時間を通して共有したり、委ねたり、昇華していきましょう。
私も一緒に手を合わせたいと思います。
南無阿弥陀仏 合掌
質問者からのお礼
吉武文法様
ご回答を寄せていただきありがとうございました。
私の心に常に沈んで在る思いが吉武様のお言葉に表れていてびっくりしました。
そのとおりなのです。
自分では何度も何度も繰り返し考えてきたことを自分以外の誰かによって客観的に伝えてもらうことで、心の中で収まりどころがみつからずにぐるぐるウロウロしていたものが落ち着きを得たように感じています。
本当に吉武様のおっしゃるとおりです。
同じような気持ちが再燃したときには頂戴したお言葉を思い出し元気になろうと思います。
ありがとうございました。