好きだからこそ苦しい
私は、とても大好きな彼女がいます。
2年と人からしたら短く感じるかもしれませんが、私からすればもう大恋愛です。
彼女と過ごす日々は暖かく、とても幸せに満ちています。
愛しているという言葉は彼女と付き合う前までは好きと何が違うのか全くわかりませんでした。
しかし今は愛しているという言葉の意味は限りなく愛しいと思い、幸せを無条件に願い、またその幸せを無条件で限り叶えようとする様なのではないかと思います。
そう思う理由は私の今がそうだからです。
そんな私ですが、実は付き合って1ヶ月も満たない時に就活やその他のことで悩み、以前好意を寄せていた女性と会いキスをしてしまいました。
その件に関しては今の自分と過去は違うものであり、分別はつけたつもりです。
しかし、隠していることに罪悪感は募るばかりで、今現在では少しのズレも許せなくなってしまいました。
彼女が嫌がることはしない。隠している以上、その時間以降からは誠実でいること。
特にこの二点を絶対的に守ろうとしています。
ですが、私も男です。
他の異性に対し性欲を抱いたり、元々男性よりも女性と仲がいいタイプなのですが、彼女には内緒で友人とあったりしています。
それは彼女がその事実を知ると不機嫌になるからです。
男である以上他の異性に性欲を抱かないなんて不可能に近いですし、友達は大事です。
ですが、あまりにも我慢が募ってしまい少し疲れてしまっている自分がいます。
その疲れた自分を見てお前の愛はその程度か、結局お前は昔と変わってないなと責めてしまいます。
私のしていることは愛なのでしょうか?
それとも嫌われたくない、好きでいてほしいと願う自己中心的な心なのでしょうか?
稚拙な文章で申し訳ありませんが、何かお言葉を頂けると幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
愛の定義を縛らずに、愛の形も、変化したり成長していきます。
前回の質問も読ませてもらいました。
真っ新で、嘘偽りなく、彼女だけを見て、彼女だけを愛していく、悲しませないこと、それが幸せ。そのように、彼女への愛を守り、大切な人への誠実な姿を貫こうとすることは、立派なようで、とても大変なことを課していると思いますよ。
なぜなら、人らしくないからです。2人だけの世界で生きているわけではないし、人に出会っていくと感情というものは揺れ動くのが自然です。笑顔になったり、男女問わず 素敵な人でこの世は溢れているのですからね。それが人間です。
彼女が不機嫌になるのは、ヤキモチです。それも自然な反応。あなたのことが好きだからです。
こうしなければならない、それが愛するということ。と、愛の定義を縛らずに、互いに心地良い付き合いのために、秘密だってあってもいいと思いますし、いろんな過去があって気づいていけることもありますよね。
彼女が不機嫌になれば、「私にも友達がいるし、女性だって仲良い仲間。バイトや職場や、いろんな人に会ったり、連絡をしなきゃならない時もある。それでも彼女は君だけだし、大切な存在なんだよ」と、確かめ合っていくということが必要ですよ。関係性は、2人で作っていくもの。その信頼度や距離感、居心地の良さが、2人にとっての愛の形になっていきますよ。
愛の形も、変化したり成長していきます。あなたのしていることも愛だし、その愛だけが答えでもないよ。2人で愛を温めていってね。
愛してる、を規定しない方がいいかも
こんにちは。私は結婚来約25年ですが、気持というのは日々移ろうものであるな、というのを実感しています。
それは自身の気持ちを見てもそうだし、相手の行動(心は直接見えないので)を見ていても同じように感じます。つまり「以前からずっと変化なく愛している」のか、と問われればノーと答えざるを得ないです。
では、それを問題視するか?最終的には程度問題ですが、「堅固な愛でなければ愛ではない」という定義をしてしまうと、それら心の変化は「愛してない」ということなります。つまり問題であると。
なので「愛とはこれこれだ。そこから外れたら愛してないことになる」という定義は、やめた方がいいと考えています。「愛してるのかな?」と素直に自分に問い、理由を付けずに素直に答えられるならば、それでいいのではないかと思います。なお、結婚という制度は、そのような心の不安定さを見越した上での「社会を安定させる仕組み」と考えます。
ただ、あなたの文章で心配なのは「多くの異性に興味を持つのは当たり前」という価値観を示していそうなことです(違っていたら御免なさい)。男性にとっては「自分の遺伝子を、多様性を持って増やしていく」手段であることは間違いありません。しかし女性にとっても「より優秀な遺伝子を受け取る」戦略とも見ることができるのです。
遺伝子云々もつまり子どもということを考えに入れずに、この話をすることはできません。「男である以上〜」と書かれていますが、それが男だけ、などと信じているのですか?男だけ特別視しようとしていませんか?
…だからね、気持ちの問題だけでなく、制度として結婚があるのですよ。
質問者からのお礼
中田様
前回の投稿も拝見して頂きありがとうございます。
いつの間にか人間として当たり前に起きてしまうことを責めていました。
決して自分で操ることができない気持ちをコントロールしようとしてもそれは不可能ですね。
彼女が悲しむからと止めるべき行為は依然としてしないでおき、自分の必要な事は必要だと伝えてまた新たな2人の関係を構築していけばいいのですね。
悩んでいると以前ではできていたことがまるっきりできなくなっていました。
ふと自分の立っている場所がわかった気がします。
貴重なご意見ありがとうございました。
佐藤様
私は変わらぬことが愛の証拠なのだと、いつの日か自分が欲していたものを彼女「捧げようとしていました。
ご結婚されて25年も共に過ごされている佐藤様からのご意見、すごく心が救われます。
変わっても良いのだと心に少し余裕という隙間ができた気がします。
男だから、ではなく人間という生物である以上という認知が正しいかもしれませんね。
自分だけがそうだと思わず、みんなそう言う思いを持ちながらも、共に過ごした思い出や与えてくれた優しさなど様々なものを思い出して好きと言う思いは続いていく。
それでも人間は不安定だから、そこに結婚という仕組みで支えている
とても貴重なご意見でした。
ありがとうございました。