楽になりたい
過去何度か愚痴を書かせて頂きましたが、
特に現状に変化なく、自分を変えることも出来ていません。
会社では、色々な事(他人)に納得出来ず、イライラと言うより憎しみでおかしくなりそうで、でも認めて貰えないのは、必要とされないのは、自分の方で、あいつもこいつも憎くて、世界が憎くて、気が狂いそうです。
家に帰って憎しみが落ち着くと、明日が来る事が怖くて怖くて仕方がなく、どうすれば明日が来ないか、全てが壊れてなくならないか、そんな事ばかり考え、暗い妄想の中で眠りにつきます。
朝、目が覚めると、今日が始まった事への恐怖が襲ってきて、そして自分の此れまでの人生が、此れからの人生が虚しく感じます。
幸せでなくてもいい、ただ楽になりたいのです。
誰もいない世界に行きたいのです。
学生の頃、現実の有り様に打ち負かされ、自分の弱さを知った日にから、死ぬ事を考えています。それは一面に過ぎないと解っていても、受け入れられず、目が離せず、ずっと其処にいます。
ずっと負けたままです。
私には、友達はいません、当然恋人もいません、『今』もこんな状態で、明日に怯えています。
目指す未来もなく、ただ楽になりたいと思いながら、飯を食い、糞をして生きています。
今日も誰かがどこかで、自ら命を絶っているのに。
その方法が私にとって一番楽になれる方法だとおもいながら、その一線が越えられません。
私が何十年も、その一線を越えられないのは、何故なのか、何が足りのか。
ここに書かせて頂くのは、誰にも話すことのない、思いを垂れ流して少しでも、楽になればと思ってです。
誰に解って貰う必要のない、見て貰う必要のない、只の愚痴です。
ご回答の必要ありません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
その感情ごとの自分を認めて
人生ぼっちさん ハスノハにコメントを書いてくださって有難うございます。拝読しながらお役に立てないだろう自分の不甲斐なさを感じています。
色々な事に納得出来ず、また、認めてもらえない、そう感じる時間が続いているのは辛いですよね。人生ぼっちさんは、とても真面目な方なのだろうと思いました。
誰もが、お互いに理解し合い、認め合えることが理想のような気がします。けれど、実際は、特に会社や学校など様々な人の共同体であれば理解し合える人に巡り会えることの方が少ないのだろうと思います。そこで大切なのは、許し合うことなのです。
私は、僧侶四名で生活をしています。家族でもない人と24時間365日一緒にいるというのは大変なことです。相手の言動にイライラしたり悲しくなったりは日常茶飯事。でも、それ以上に私の言動に我慢してもらっている、許してもらっていると思う時間を作ることで「有難う」という気持ちを持たせて頂く機会になりました。
他人に100%理解してもらえない、他人を100%理解し、知り尽くせない。それは淋しいことですが、人生ぼっちさんは人生ぼっちさん、他の人もそれぞれなのです。他人に期待をしてはいけないのです。できることは、ご自身がご自身を信じて愛してあげること。人に憎しみを感じてしまう自分、人生が虚しく感じる自分、楽になりたいと思っている自分を否定せず、その感情ごと自分を認めてあげてください。
SNSで誰とでも繋がれる時代だからこそ、「孤独」を感じることは大切なことです。それでも、太陽は昇り、季節は巡り、私も人生ぼっちさんもこうして生きている、そんな当たり前だけれど奇跡的なことの中で生かされている今を大切にしてください。決して一人ではありません。ゆっくりでいい。明日の人生ぼっちさんをお祈りしています。
質問者からのお礼
今日も一日苦しかった。
夜が来ました、眠るのが怖い。
きっと明日が来ます。
朝、一日が始まった事に絶望するでしょう。
明日が来ない事はない、明日何かが変わっている事はない。
寝て起きたら、世界が変わり救われる事はない。
今日、救われる為には、死ぬしかない。
『誰に解って貰う必要のない、見て貰う必要のない、只の愚痴です。
ご回答の必要ありません。』
ご回答を読ませて頂いているとき、
心が少し軽くなります。
それは、一時の事です。
すぐに現実の前に潰されます。
何も変わらない。
きっと明日が来ます。
ですが、一時でも心が軽くなるのです。
日々続く苦しみの中、ほんの僅かな時間でも、それは救いです。
ご回答ありがとうございました。