思い続ければ叶うのでしょうか?
私の周りで「引き寄せ」に関して語る人達がいます。
自分が求めている事が叶ったイメージでプラス思考の気持ちで、無意識の所に(?)落とし込むと、忘れた頃に願いが叶っている。
芸能人やスポーツ選手や成功者でも、引き寄せで願いが叶っている。
一番大事なのは自分を幸せな気持ちにさせる事で願いが叶う。
強く思った事は実現すると言っていますが…
お寺でも、恋愛成就・全体運アップにご利益がある、願いが叶うお寺と宣伝しているお寺もありますが…
自分が思った事(願った)事は叶う…
みたいな考えは仏教でもあるのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「そんなことはなくてもそう思いたい」のかもしれません
ご相談拝読しました。
仏教でも「何かを成し遂げたいという思い」それ自体を否定はしないと思います。しかしどれだけ思おうと、その思いを成し遂げるための正しい努力(行為)と、成し遂げられるための条件・環境が整わなければ、実現はしません。
条件・環境は私の思うとおりにコントロールできるものではありませんから、それだけ思おうと実現しないこともあるでしょう。
仏教はその因果を正しく見定める教えだと思います。
>自分が思った事(願った事)は叶う…
といういわゆる「引き寄せ」の考え方は
自分が思ったから叶った
と(事実は置いといて)考えたいのだと思います。そう考えることで確かにポジティブな心作用もあるのかもしれません。
しかし、それは叶わないときに自分の思いを責めることに繋がったり、自分の思い以外の原因で叶ったのに、その本来の原因・環境への視座を失わせたりと、仏教的には迷いを深めるものであるのではないかと思います。
自分の思いの世界にのみに浸ることを肯定するのは仏教ではないでしょう。思いが破れて事実に目覚めるのが仏教かと私は考えます。
願いを応援するのと霊感商法とは違う
仏教では、自分と他人の幸せを願います。
お守り等を販売して参拝客の願いごとを応援してくれたり、悩み苦しみに寄り添ってくれるお寺もあるでしょう。
しかし、思い続けていれば全ての願いが叶う、という教えは仏教には無いと思います。
「願いが叶うという言い伝えがある」お寺ならありますが、あくまで昔ながらの伝説、文化的風習みたいなものです。
本気で「このお寺にお参りしてお布施すれば願いが叶う」とか言いだすと、霊感商法まがいになりかねません。
たとえば、宝くじだって買い続けなければ当たらない。それは事実ですが、買い続ければ必ず当たるものでもありませんね。
宝くじに当たった人や夢を叶えた成功者達は、「夢を投げ出さず、思い続けたから当たったのだ。思い続ければ願いは叶うのだ。」と語るかもしれません。
無意識ということについては、仏教の中には、私達の日々の行いが、アーラヤ識という無意識領域に蓄積(畑の土壌に野菜の種を埋めるように)され、時間を経てその行い(種)が結果(芽)を出すという考え方もあります。
だから種まき(悟りやすい性格になるための修行、善い行い)を続けた方が良いのですが、やはり、すぐに結果が出ないこともありますね。
質問者からのお礼
願誉浄史 様
回答ありがとうございます。
〇〇に効くお寺に行ったら願いが叶った、そのお寺のお地蔵さんを待ち受けにしたら、いつのまにか叶った。
とネットやテレビでも紹介されているので、そんなに願っただけで叶うのか不思議に思っていました。
やはり日々の種まきがあってこそ、なのをお聞きし納得しました。
吉武文法 様
回答ありがとうございます。
事実はおいといて思ったから叶ったと考えたいだけ、、
その事実(叶った本当の理由)に気づいてないのは何故なのか不思議です。
引き寄せの法則等を語ってる方に、行動があったからと伝えますと「腹の底にある念をプラスにしたから、良いイメージを続けたから叶った!」と攻撃され困っていました。
迷いを深めるもの、、とのお聞きし確かに、と思いました。
ありがとうございます。