親を殺したい
DV加害者の父を殺したい。
過干渉な母を殺したい。
私を生贄にした弟を殺したい。
四六時中ずっと考えてて、辛い。
このことを人に相談したら「忘れなよ」と言われるけど、忘れたくても忘れられないから、困ってるんだよ。
家族と縁を切りたくて家を出たのに、母に住所を知られ、毎週のように来る。
もう来ないで欲しい。次来たら刺し殺したい。できないだろうけど。
閲覧制限ができないって役所の人に言われてしまった。
家族と縁を切れたって人が羨ましい。
私は家族のことが嫌いなのに、母は「なんだかんだ言って家族のことが好きなんでしょ」と思ってる。(かもしれない)
次来たら包丁突きつけてやろうかな。それやる勇気が欲しい。
どうすれば母に、私の気持ちを理解してもらえるのかな。
「もう来るな。お前らなんか大嫌いだ。気持ち悪い」
これ言っても、ちっとも分かってくれない。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
人間は万人が発展途上で未熟で弱い強がり生物
自分も親も害するよりは善導する人となる。
この世には悲しい構造があります。
弱いものがもっと弱そうな人にマウント取って勝ち誇った気になる。
別にそれによってよりよい人間性に導いてくれるわけでもないままに。
動物の世界にもそれはあります。
そもそも動物の優劣争いやマウンティング心理も自分の方が優位だということを示す行為でもあり、それが本人の安心の為でもあるのでしょう。
そういう微細な心理を学ぶと生物全体のある種、滑稽ながらも否定できない現実に目が開く。大半の人におよそそういう心理があるからです。どんな軍事国家であっても下のものが上のものに逆らわないのも上の者が臆病だからこそ下のものにそういう厳しさを強いるのです。
敵意を示さず、従順であればよいというのがこの世の一つの処世術なので相手がどんな人であれ「大人しくかわす」ということも大事な姿勢の一つでしょう。
良い方法が。
仏教では人間世界の負のループを繰り返すこの世の悲惨な世界を六道の輪廻といいます。
六道とはざっくり申し上げれば、次の六世界。
天上界は恵まれてはいるのにそれ以上の人間性の向上の無いノボセの世界。
人間界は勝ち負け優劣美醜損得の競争世界。
修羅界は人と争う対立心理。闘争心理。
餓鬼界は自分ラブ、自己中、自分さえよけりゃいい世界。
畜生界とは不正、犯罪、テロ、非道、何でもアリ世界。
地獄界とは救いのないMADな世界。
※諸説あり
そんな負のループを繰り返して改めないのがおよそ多くの人間です。だから、こんな繰り返しはもう御免だ!と高い人間性を求めてもう一歩👣踏み出す精神。それが今あなたに生じた心であり、お釈迦さまが生まれて7歩歩まれたという故事が象徴する向上を求める精神。そこを菩提心をおこすというのです。
仮に家庭に神棚や仏壇があってもDVモラハラ酷いことがあれば、そこに人道精神や宗教心が不足しているといえます。より平穏でより安らかでよりやさしい心を求めることが無ければ人間としてあるべき道から外れてしまう。
宗教心とは歯磨きでたとえれば、自分で歯を守る・磨く気持ちがあるかどうか?と同じです。自分で自分の心を防衛・安心・向上する気持ちがあるか?とまず問うことからです。そうすると他人さまの悪意や自分の心の弱さからも防衛しようとする。
一人でも法衣をまとう気持ちで自分の心の光を失わせない気持ちを持ってください。
表現方法を工夫する
あなたには、嫌なものは嫌だと言い続ける権利があります。
でも、普通に言っても伝わっていないのですね。
ならば、犯罪にならない範囲内で、多少激しい表現方法を使っても良いと思いますよ。
包丁は危ないので木刀を見せるとか、コップにオシッコを入れてお茶の代わりに出すとか。(冗談ですよ。)
相手の想定を上回る表現方法を考えてみてはどうでしょうか。
ただし、表現方法は激しくしても頭の中は冷静に。
あくまでパフォーマンス。
アーティストのような気分で、心に響く表現方法を考えましょう。
質問者からのお礼
丹下さんへ:六道の話、面白いですね。歯磨きの例え、分かりやすかったです。自分の気持ちを見直してみようと思います。
願誉浄史さんへ:母と会う約束を、断ることができました。予定があるから会えないと言いました。
皆さん、ありがとうございました。