家族を失う恐怖について
私の両親は50代で病気もなく健康体です。ですが、私自身「もし両親が急に死んでしまったらどうしよう」というどうしようもない不安を常に抱えて生きています。
先日家族旅行に行き、帰りの空港でもこの旅行が家族での最後の旅行になったらどうしようと考え、1人でこっそり泣きました。また、この空港でのエピソードを友人に面白おかしく話そうとしたところ、その時の感情を思い出して再び泣いてしまいました。
私自身、予想もできない未来に不安を抱いて生きるより、今一緒に過ごせている時間を楽しく過ごした方がいいことは十分理解しています。むしろ私自身もそうやって過ごしたいのですが、楽しい時間を過ごしている時ほど、終わりを考えてしまいます。
私自身、身近な人を失った経験が現時点でない為、人一倍死への恐怖が大きいように感じます。家族との別れを想像しても、乗り越えられる気が全くしていません。小学生の時から20になる今までずっとこの考えで生きてきたので、根本から変えるということは難しいのかもしれませんが、少しでも楽に家族といまこの時間を過ごせるような考え方はないでしょうか、、
お坊さん自身が、ご家族との別れについてどのように考えているかだけでも教えていただけたら幸いです。
お坊さんからの回答 1件
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限られた命を生きていることに気づき、どう生きるのかに繋がる
縁ある人の死というのは、予想もできない未来ではなく、現実に起きていきます。もちろん自分もね。
私たちは、無常の世に生きていますから、自分も含め 命ある者は、必ず命尽きる日がやってきます。今も、一日一日 老いを重ねているわけです。
死を見ていく(考えていく)ということは、限られた命を生きているということに気づき、その命をどのように生きるのかを考えることに繋がります。
恐怖もあるでしょうが、それだけで終わる命でしょうか?
生きる中で出会うこと得ることもたくさんありますし、喜びも味わい、伝え残していくことも出来る。あなたも、親だけでなく、祖父母、先祖からいただいたものがあるでしょ。あなたの存在だって、引き継がれてきた命の繋がりをいただいています。自分を生かすために、多くの命をいただいて(食して)あなたは生きていられるのです。
自分や親の命を考えるだけでなく、あなたのために血や肉となった命のことも考えてみましょう。
また、古来から人々の信仰がこうして続いているのは、死後の救いを求めるからでしょう。あなたも、怖いと不安になるばかりではなく、信仰(いのちの拠り所)を大切にしていきませんか。
そして、大切な人の死をも乗り越えていけるよう、今を共に生きる 支えとなる存在にも出会っていけたらいいですよね。
私も、大切な人の死別の悲しみに、周り人や信仰が支えとなりました。



午後から夜の時間帯は都合がつきやすいです。
◆こちらから、無理に聞き出すことは致しません。
言いにくいこと、言えない気持ちも大切にします。あなたのお気持ちのままに、ゆっくり待ちながら、その気持ちを大切に受け止めたいと思っています。
◆自死で大切な人を亡くされたり、死別により 死が受け入れられなかったり、心の整理がつかない方へ。30分ずつでも、オンラインで定期的に気持ちに向き合っていきませんか。吐露したり泣ける時間も、大事なグリーフケア 。
◆個別電話ってドキドキして勇気のいることだけれど、声が届くから、聞こえてくるから、ちゃんと繋がっているようで、そばにいるように安心出来ることもあります。
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(相談は、hasunohaオンライン相談より受付下さい。お寺へのいきなりの電話相談は受けていません。法務が優先なので)
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