父の死
いつもありがとうございます。
春に弟が亡くなり、なんどもお話を聞いてくださりありがとうございます。
先日疎遠だった父が亡くなったと連絡がありました。
なにしろ40年以上疎遠だったので、亡くなったといわれても心が動かない現実がありました。
弟がなくなった際に、書類の手続きをお願いすることも代理人を通しての連絡だったので直接会うことはありませんでした。何か言われる、ゴネられる。。。と警戒していたのですが、あまりにもスピーディーに動いてくれたことにとても感謝しています。
それが親として最後に見せてくれた誠意だったと信じています。
私をこの世に生んでくれた父ではありますが、悲しみという感情がわきません。
感謝はしています。子供のころの父との写真が少し残っているので眺めた時には涙が流れましたが、すでに私の日常は何もなかったように過ぎていきます。
確かに父親として、娘としての数年間の時間はあったのです。
代理人の方によると、亡くなる何年か前に大病をしたと聞きました。
けれども、別れてからすでに40年以上経過しています。
いつか訪れる父の死を知っても、心が動かなかった自分の冷たさ、冷静さに少しだけショックでした。
弟が亡くなったときの私はまさに半狂乱、母も夫も私がどうにかなるのではないかと心配されました。あれから半年たち、どうにか私も表面上はいつも通りの生活を取り戻しています。
父への感謝は弟の死亡手続きの協力してくれたこと。
それを手紙に託しておいてよかった。。。と悔いはありません。
今は父が安らかに眠ってくれることを願っています。
こうしたことで供養が伝わるでしょうか?
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回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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あの日を振り返りながら気持ちを言葉に。この時間こそが供養
あなたとお父さんの記憶・思い出を聞かせてくださりありがとうございます。
別れの体験には、いろんな感情が起きます。あなたが、今 自分は冷たく冷静であることを体験しておられますが、それもまた死への向き合い方だと思うのですよ。どんな感情があってもいいのです。あなたと その人(お父さん)との関係性によるものなのだから。
冷たいと思っても、無関心でもなく、こうして あの日を振り返りながら気持ちを言葉にされている。あなたの中で「お父さん」という存在が確かにあったからでしょう。この時間こそが、供養なんじゃないのかな。
私もこちらから手を合わせます。
合掌
質問者からのお礼
早速のご回答をありがとうございます。冷たすぎる私の心にそっと寄り添ってくださり、そして親に対して非常なはずの私を責めずにいてくださりありがとうございます。今は少しだけ後ろ向きに、そして前向きになれるように自分を励ましつつ、母を支え、静かに弟と、そして少し距離のある父だった人を偲ぼうと思います。
いつも思いやりのあるお言葉、お教え、ありがとうございます。合掌