危篤状態の患者の衣服を着替えさせた看護師
今月、姉が亡くなりました。癌でした。
闘病の甲斐もなく脳の放射線治療を二度、抗癌剤も効果なし、コロナワクチン接種済、問題だったのは通院のたび数値が足りないため抗癌剤が受けれないという状態が1月から続いてました。
姉が食べなくなったのは7月頃からでした。9月に最期の入院となり親の意向で病院で看取る形になりました。
幸いにも仕事先は理解して頂き長期休みを貰ったお陰で息を引き取る瞬間に傍で見送ることができました。
今でも泣いてしまいますが、危篤状態から葬式が終わるまで嫌な思いを沢山しました。
だから姉は家に帰りたいと言い続けていたのだと分かりました。
医者、看護師と多くの人に助けられ支えられているというのは充分に実感しています。
しかし、危篤状態にも関わらず病院の着替えをさせる看護師に不信を募らせています。亡くなった後ではないんです。
意識のない状態の姉、呼吸も乱れている状態で、姉は病院服の着替えをさせられました。
看護師に「折角だから見てもらいましょう」と姉を全裸にさせ、性器の洗浄患部のガーゼ張り替えその他をしました。
体を動かして良いのか分かりません。
どちら向きだったのか忘れていたり、患者の家族に買い物を注文したりと後出し情報で迷惑そうに言ってきました。
受付に訪ねにいったら丁度医師と他の看護師複数がいて、(もう危篤のため)買いに行かなくていい時間は気にしなくていいと言われて戻りました。
その1時間後に姉は亡くなりました。
早すぎる、と思いました。
無呼吸状態の呼吸が始まってすぐでした。あの時体力を着替えで使わなければ、体勢が違っていたら、呼吸しやすい状態だったら、そればかり今となっては「危篤状態なのに患者を動かすんですか?」と言えばよかったのにできなかったことを悔いてます。
しかし、それをしなかったとしても時間の問題で助からない命でした。
当時は亡くなったと言えず旅立った、という見方でいました。あの光景は綺麗でした。
葬儀の方はそこの女社長からの扱いが悪かったり、霊柩車に乗りたくなかったのに乗せられ、運転手に年齢を聞かれたりと、傷心中になんで。って嫌な思いをさせられました。
悲しみが強く今の世の中が脱け殻になった気持ちです。誰もが辿る道だと分かってても喪ったものが大きすぎました。
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多くの命の中の一人ではなく、家族には唯一の大切な人なのです
お姉さまのご往生
謹んで哀悼の意を表します。
今までの質問も読ませてもらいました。ずっと見守ってこられ、病と向き合っておられるお姉さまの側で支えてこられたことと思います。お看取りもなさったということで、危篤状態にあっても最期までご家族の声が(死後直後も聴こえているという医療関係者もいますね)聴こえていたことでしょう。それは、お姉さまにとって、生き抜く支えであったと思います。
そんな中で、医療関係者には、「命の尊厳を守る」ということを大事にしていただきたかったですよね。葬儀社も、ご遺族の想いに丁寧に対応していただきたかった。
私も悲しいわ。多くの命の中の一人ではなく、ご家族関係者には、唯一の人なのです。危篤状態にあれば、家族は不安で動揺しています。そんな中で、体を拭いたり着替えさせる必要があるのでしょうか。絶対安静なはずです。そんなこともわからないなんて。悔しいですよね。
いろんなことが重なると、大切な人の死と向き合えなくなるときがあります。
ご家族皆さまの気持ちを想うと、本当に胸が詰まります。
私もこちらから、お姉さまを想い手を合わせますね。
また、悲嘆は日によって変化します。その日の気持ちに添いながら、こうして話をしたり涙しながらも、お姉さまを偲びましょう。
あなたの気持ちのそばにいたいと思います。
合掌
質問者からのお礼
中田様
ありがとうございます。読んでる最中に涙が溢れました。そうなんです。多くの中の一人ではなく唯一の一人なんです。
長い間を共にしてきたので嫌いだったり憎んだり好きだったり楽しかったり多くの時間を共有してきました。
生前、姉が嫌っていた医師(1ヶ月前に担当が変わりました)がいて、その医師は患者を大切にしない人だと聞いてました。母も通院してるため他の医師からその医師の患者からの不評を聞かされていたと後日知りました。
着替えをさせられていたときは自分は憔悴していて、怒ることができませんでした。意識がないと聞かされているため本人が拒否することができません。
病院から家族を呼んだ状態なのに、なぜ看護師に伝達されてないのだろう
見てわからなかったのだろうと憤慨してしまいますが、母が通院してること、他の医師や看護師が良くしてくれていたことを考えると飲み込んでしまいます。
点滴を交換したり血圧心拍をはかりに来たりと心電図ではなかったためこの状態が続くのかと思ったらあっけなく逝ってしまいました。
看護師が来るたびに離れていたので、ゆっくりすることができませんでした。
邪魔されたと感じる部分もありました。
死後直後は緩和ケアの医師と二人で両親が来るまで談話していました。
亡くなったときは不思議な感覚で悲しさはあれど医師と会話して笑ったりすることができました。穏やかな時間でした。後から悲しみや辛さが襲ってきましたが、両親が来るまでの時間は暖かさを感じていました。
時間が経つと、やはりあのとき着替えがなければ…と悔しくなります。
それでも苦しまないために早く旅立ったのかと思うと、こういう悔しい気持ちは私のエゴなのだと思う部分もあります。
ありがとうございました。