母の記憶
母は認知症だったのですが、亡くなった後に楽しかった事や嬉しかった事、…悲しかった事など記憶を取り戻せたのか気になりました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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故人様人間世界のあらゆる価値観を超えて安らかな世界に
故人が成仏なさるためにはあなたの中のあなたのお母さんをあなたの中で成仏させてあげることも大事です。
それはどういうことかといいますと、
あなたが亡くなられたお母さんが「いまはこうなのではないか」「ちゃんとこうしておられるだろうか」と案じられておられる。そのあなた自身の迷いを救う、済度するのです。
それこそ、母の菩提を弔いたいという尊い願い、菩提心です。
その昔、お釈迦様の在世の頃、弟子のアナンダ尊者、目連尊者も亡くなられたお母様の事が気がかりで大変深く悩まれたそうです。(ご検索を)
あなたがもしその不安を払拭されたいと願われるのであれば、あなたの中のお母さん、内なるおかあさんときちんと向き合って、内なる対話、お話、意思疎通を今後もなさることです。供養とはより良い心へ向かうことであり、良いことを共有することであり、亡き方へ最高の精神を送り届ける儀礼であり、心で共鳴しあって生や死を超えて今後もともに心地よいかかわりを続けていくことでもあります。
誰にでも内なる愛する故人様がわが身の中におられます。
その内なる故人様に私たちを安らかな心へと導いてくださるように敬い、お祀りするのが私たち生きている者の亡くなられた方へのつとめなのです。
うやまうこと。
とうとぶこと。
弔いの精神。
お母様が生きて眼の前におられるのであれば、慎まれるべきことは慎むということが故人様への尊厳を尊重することです。
死者にも尊厳があります。
極端な例ですが、以前で亡くなった方のお棺を胴上げしている動画を見たことがあります。周りの方はそれをやりたいと思ってそれをやった、あるいはご遺言でそうしたのかもしれません。あるいは、みんなから慕われた方でしょうから、現場の人たちの心情としてそれをやってあげたいという願いもあったのかもしれません。
ですが、そういうことは「ご遺体ですし」「そういう風な扱いをなさらない方がいい」と思うというのが私個人の心情でした。あるいは最近多くみられる亡くなられた方と写真を撮ることも同じように感じました。
故人の尊厳。
お母様も、既に仏の世界、人間世界のあらゆる良し悪し、損得、好き嫌い、人間の価値観を離れた方の世界に安住されておられる、というのが個人の死の尊厳というものです。生前の人間世界の価値観をもって案じられる事なく、お見守りいただき、導いていただきますよう祈りをお捧げください。