容姿が醜く、生きていても辛い
私は顔が人よりとても長く、特に顎が長く醜い容姿をしています。
私には姉が2人いますが、2人とも絶世の美女で、私だけブサイクです。
なので、若い頃から、姉たちにブスだ、顔が気持ち悪いなど顔の指摘をされてきました。
人からも、姉の方が美人と何度も言われてきて本当に辛かったです。
父親は顔立ちも良く、私にもとても優しいのですが、母親は姉の容姿ばかり褒めていて、私は褒められたことがありませんでした。
母親は美人というほどではないそうですが、私よりは整った顔立ちをしています。
家族や親戚に私よりブサイクな人はいません。
どうして私だけ、不細工に生まれたの!
世の中不平等だ!
と怒りが湧いてきます。
そんな私でも、結婚し、可愛い子どもに恵まれました。とても幸せだったのですが、どうしても顔のことが頭をよぎります。
今の家庭や主人の親戚にも私ほどブサイクはいません。
友達や街を歩く人を見ても、私よりブサイクはいません。
そう思っていると、自分の居場所がなく、全ての人に見下されているように感じます。
また、娘に将来、ママより姉たちの方が綺麗だと言われたり、姉たちの子どもに生まれたかったと言われるのではないかと不安です。
大切な娘だからこそ、言われると特にショックを受けるのではないかと怖いのです。
長くなりましたが、本当に顔が悪いと生きづらいですし、世の中はとても不平等だと思います。
僧侶の方々は、不平等だと感じた時や生きるのが辛い時、どのような考え方をしているのでしょうか?
また、自分勝手で本当に申し訳ありませんが、こんな私を励ましていただけると嬉しいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
見た目で判断するのは煩悩があるからです。人間の価値は生まれではなく何を成したかで決まる。顔の良し悪しではなく行動の良し悪しで決まる。
煩悩に惑わされずに自分と他人の行動をよく見ましょう。
と、不細工な私は自分に言い聞かせております。
質問者からのお礼
三宅様
お忙しい中、ご回答いただきありがとうございます!
顔の良し悪しではなく、行動の良し悪しで決まる。という言葉にハッと気がつきました。
私自身、色んなことを顔のせいにして、行動すること努力することも途中で諦めてきたことも多かったように思います。
日々精進します。
ありがとうございました。