母の死
先日母親がなくなりました。
私が幼い時から、お酒を飲む事をやめられない人でした。そのため祖母や私にもたくさん迷惑をかけてきた人です。
亡くなる一年程は病院で管だらけでした。子供のこと無関心気味でしたが、やはり母親なので亡くなってしまったことは寂しく思います。私は東京で就職しているので、死に目に会えませんでした。
今はいつも通り過ごせていますが、仏壇に朝昼晩御飯をお供えするときに「あ、やっぱりもういないんだなぁ。」と感じ悲しくなってしまいます。
お母さんは今どうしてるのか、とても会いたいです。
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ただの終わりでもお別れでもない。
ご相談拝読しました。お母様のご命終に謹んでお悔やみ申し上げます。
色々と苦労させられた相手とはいえ、その母親の死という大きな大きな事実には、やはり感じるところが多いことと思います。
さて、確かに人としてのお母様はもういません。しかし、今あなたが寂しい気持ちや、悲しい気持ちや、モヤモヤを抱えているように、お母様がいなかったら感じていないだろう何か、お母様の死を通してでないと感じていなかっただろう何か、そうしたものを実際に心に感じておられることでしょう。
それらを通して、お母様の存在や、不完全な一人の人間としてのお母様を超えた「いのちの願い(あなたにも流れる本来的欲求)」に、あなた自身が気がつくならば、人はけして死んで終わりではないのです。むしろ、死を通してより多く考えるようになったり、より深く感じるものもあると思います。
そこに亡き人との出会い直しがあるのです。出会い続けていく道があるのです。
寂しい気持ちも、悲しい気持ちも、お母様からのいただきものです。どんな気持ちもギュッと抱きしめて、これからの日々を、形を超えたお母様からの願いと共に歩んでください。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
何度も読み返してます。いなくなったけど、お母さんに変わりはないなと思い過ごしていこうと思います。
この気持ちも大事にし、忘れずにしたいと思います。
本当にありがとうございます。