全てから離れて休息を取るための方法
仕事、人間関係、恋愛、自分の生き方で悩んでいるうちに、現代社会の枠組みの中で生きていくのに疲れてしまいました。
現在派遣で働いており今年いっぱいで今の配属先が契約満了となるのですが、そこから転職活動をするような気力もなく、全てに疲れてしまい一旦全てを中止して休みたいと思っています。
休む方法としては、
・精神科に行き診断書を貰って休職する
・行政や役所、支援団体等の支援システムを利用する
・退職して実家に帰り家族のサポートを受けながら休む
のどれかかなと考えています。
そもそも今の自分は休むべきなのかどうかもよくわかりません。
でも気持ち的にはもう何もしたくなくて、生きる希望も持てなくて辛いです。
休むことは甘えなのだろうかと考えてしまいます。
今日も、仕事なのに会社に着いたら涙が止まらなくなってしまい結局休んでしまいました。
自分がどんな選択をとっていくべきなのか、悩みすぎてよくわからなくなっています。
なにかご助言頂けたら嬉しいです。
支離滅裂な文章で申し訳ありません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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何かに没頭する瞬間に心が休まる
たとえば、仕事中に行き詰まって書類作成が進まなくなったとき、とりあえずその書類を送るための封筒の用意をする。
封筒に入れる書類ができていないことはいったん忘れて、封筒の宛名書きの作業に没頭する。
そのとき、私達は心を休めることができます。
ゴールが見えない状況でも、ゴールが見えていても、途中の走る作業はいつもと同じ。
ならば、心を休ませるテクニックとして、しばらくはゴールのことを忘れて走ることに没頭する。
それでも一応、少しは前に進んでいる上に、気分もリフレッシュ、リラックスする。
どんな複雑な仕事でも、今の1秒だけを切り取れば意外と単純な作業であり、その単純な「今・ここ」に没頭するとき、けっこう楽しい気分にもなれる。
書道・茶道・華道や、写経・読経・念仏なども、そのような効果(単純な作業に没頭してリフレッシュ)があるのかもしれません。
食器を洗うときも、「面倒くさいな、早く終わらせたいな」とゴールばかり見ているとストレスですが、急がず焦らず、鼻唄を歌いながら楽しみながら洗ってみると、いつの間にか完了します。
やってみてください。
休むためには、実は全てから離れる必要はなく、ただ数秒間でも妄想雑念から離れれば良いだけなのです。
今まで苦痛だと思っていた行為の中にも、鼻唄を歌いながらできる「今・ここ」があるはず。