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僧侶の方に聞いてみたいと思っていたこと

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有り難し有り難し 25

どうすれば心は静寂に平安になるのでしょうか
お考え聞かせてください。

あともう一つ。
悟りとはどうゆうことですか
具体的に教えて頂けましたら、幸いです。

宜しくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

まず自分を…心を…みつめてください。

揺れ動くのが常の心を平安に保つのには…

心が波立ちお辛い時には、まずその状態を否定せずにしっかりと自分の中に受けとめてみてはいかがでしょうか?

そして何で辛いのかを見ると、大抵は

「あんな事しちゃった」「今までああだったからこんな自分では〜」などなど…
過去の事に囚われていたり、
「いついつまでにこれを間に合わせなきゃ、何とかしなきゃ」「未来にもしかしたらこうなっちゃうかも」「明日っからどうしよう」などなど…
未来の事に縛られていて辛さを感じる事が多いと思います。
 
そうなのです。心を波立たせる悩みや辛さの多くは、過去に囚われ未来に杞憂し縛られる事から起こるように思いませんか?

心を平安に保つには、過去にも未来にも囚われずに「今」をしっかりと見つめて「今出来る事」をコツコツと成していくのが良いように思います。

悟りですが…具体的に話せる程私は悟ってはおりませんので、弘法大師空海さまのお言葉をお伝えしますね。

「実のごとく自心を知る」

というお大師さまの言葉があります。
人間の心というのは自分で解っているつもりでも、実は全く解っておらず遥かに深く大きなものであるということなのだと思うのです。
それを実のごとくすっかり解った状態を悟りというのだと思います。

ご興味あれば、仏門を叩いてみてください。

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仏道に入門して36年が経ちました。 死ぬまで修行を続けるのがお坊さん...

悟りへと向けて・・

いずみ様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

うーん・・どちらも非常に難しい問い、誠に僧侶泣かせのご質問でございますね。。

「どうすれば心は静寂に平安になるのでしょうか」・・

簡単に述べますと無明・煩悩の生じない境地ということになるでしょうかね。もちろん、実際には相当に難しいことになりますが・・坐禅や瞑想の実践にて「三昧」(ざんまい)に入ると私たち凡夫でも僅かながらにも経験ができるのではないかとは存じます。しかし、凡夫においては、三昧から離れると、また煩悩・妄想があれこれと湧き出てきて、色々とやられてしまいます。三昧から離れても湧き出てきてしまう煩悩や妄想も然るべくに対治していくためには、やはり仏道を歩むことが望まれることとなります。

「拙理解仏教図式No.7(2014.6.14)」
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/f11483ea1a2eb35ce5dcda72284b2bfa

上記拙図を少しご参照頂きまして、無明・煩悩の対治のためには、特に悟りの妨げとなっている煩悩障と所知障を断滅させていくことへの修行が必要であり、特には、智慧(空性の了解)と福徳(善徳・慈悲・利他行)の二資糧を円満に積んでいくことが大切なこととなります。

煩悩障と所知障を断滅させていくことについては、下記のページの内容が最も参考になるのではないかと存じます。内容はかなり難しいことが書いてございますが要点がまとめられています。

チベット仏教ゲルク派宗学研究室・教理の考察
「お化け屋敷の喩え」 齋藤保高先生

http://rdor-sems.jp/index.php?お化け屋敷の喩え

「悟りとはどうゆうことですか」・・

上記の拙図においての所知障を断滅した段階が悟りと言える境地となるかとは存じます。

しかし、悟りというものは、こういうものだとして、言語表現にて明確に説明できないものでもあり、実際にその境地に到達してみない限りは分かり得ないもので、やはり自内証されるべきものということとなります。

是非、この機会からでも仏教に更に興味を持って頂いて、仏道を共に歩みて、悟りへと向けて精進致して参りましょう。

川口英俊 合掌

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川口 英俊
チベット仏教 ツォンカパ大師中観思想・後期二諦説の研究

質問者からのお礼

お返事ありがとうございました。
過去と未来に目を向け、悪いことにばかり気をとられ不安になるというケースは確かに多いと思います。
今のことを一生懸命やっていくことが、良い流れを作ってくれると思いました。
ありがとうございました。

「お坊さんのことを知りたい」問答一覧

食前・食後の 言葉

ずいぶんと久しぶりに、こちらに伺いました。 あれからもう、二年半以上が経ったのかと、感慨深く。 現在は、実家からさほど離れてはいませんが、独り暮らしを始め、コンビニのアルバイトと、国からの障害年金・福祉ヘルパーさんたちに支えて頂きながら、自立生活・リハビリに努めています。 家族間の溝は、どうしても多少なりとて残ってはしまっていますが… 最近になって、父の世代の下に当たる 現在宗派を率いる世代 の方たちと、父経由ではない形でお話しをする機会を得ました。 今後の私のライフワークとなっていくだろう〝ヘルプマーク〟などについて興味を持って頂いて。 ちょっとずつ… 父とは違う形で、宗派 その他に関わっていくかもしれません。 本当は、〝つぶやき〟に書くべき徒然ではありますが。 字数制限に合いませんでしたので、こちらに書かせて頂きました。 【質問】 皆さまの宗派の、  ・食前の言葉  ・食後の言葉 など、宜しかったらお教えください。 各宗派・地域によって、瑣末に違ってくるだろう。 そして現在は、わりと廃れてきているのかな… という、この言葉を、少しでも残しておきたいと思いました。 ちなみにうちでは 「一粒一滴 皆 御恩。 不足を言ってはもったいない。 感謝で美味しく頂きましょう。 いただきます」 「今、尊い食を終わりて。 心豊かに、力 身に満つる。 この心身をもって、己が技に励みましょう。 ごちそうさまでした」 だったかな。 伝えていきたい言葉だと思います。

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跡継ぎの悩み。お坊さんとしての在り方とは

 実家が寺院です。  住職をしている父親の在り方に疑問を覚えるとともに、自分の将来について悩んでいます。  現在、人々のお寺への関心は少しずつ薄れているものと思います。そんな中、私の実家は今でも多くの檀家の方々に支えられ、お寺として成り立っています。しかし、父はその有り難さが分かっていないように思うのです。    具体的な収入(僧侶が頂くお金を収入と呼ぶのは語弊があるかもしれません)を私は知りませんが、高級車を何台も乗り継ぎ、沢山の娯楽品を購入し、暴飲暴食…。具体的な発言があったわけではありませんが、「僧侶も職業だ。稼いだ収入を好き勝手使ってもいいだろう」というような気持ちが根底にあるように思います。  お寺の管理として沢山の工事も行い、綺麗なお堂を建てる一方で、景観として素晴らしい大きな木を何本も切り倒すようなこともありました。  非常に恥ずかしく思うとともに、悲しく、また、檀家の皆様に申し訳なく思います。そんな父の「粗さ」に母親が涙する日も増えました。ただ、私もまた、そんな父の援助があって、仏教科ではない別県の大学へ進学しているため、やっていることは本質的に父と変わりないのだと思うと、苦しくなるばかりです。  父親のような僧侶にはなりたくないと思います。ただ、日々誰かの死と向き合う仕事ですし、お寺としての管理も父なりに苦しんで考えているものと思います。大きなストレスもあるでしょう。父がどんな気持ちで高級車を乗り回しているのか、分かる気もします。改めて、現代におけるお寺や僧侶というものの在り方の難しさを感じます。「苦しすぎて私にはとても継げない。」「自由に暮らしたい。」「普通の家庭に生まれたかった。」そんなことを連連と考えてしまいます。  悩みやすい性格で、父親のことも悩みの一端に過ぎません。ただ、お寺の道に進むのか否か選択を迫られる時期が近づいてきており、「お坊さん」として生きていらっしゃる方々の言葉を聞いてみたいと思い投稿しました。  お坊さんとしてお金とどう向き合っているか。お寺への関心薄れる現代において、お坊さん・お寺として、今後どう在るべきか。また、悩んだ末に実家を継いだ方がいらっしゃいましたら、その決断に至るまでのお話など、相談としては漠然としており申し訳ないですが、何かご意見頂けると有り難く思います。

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お坊様方の葛藤や苦悩、教えについて。

はじめまして。 先日、こちらで投稿をさせて頂き、道標をいただきました。 一進ニ退の日もありますが、先ずは己のために少しずつ仏教の教えや考えにふれたいと思うようになりました。 貴重なお時間をいただく事になりますが、質問をさせて頂きます。 申し訳ありません。 沢山の問答を拝読致しました。 今は自分が出来そうな事から、出来る日には、はじめています。 変えられない過去やわからない未来、辛い事が浮かんだ時には、(体の都合で座る事ができなくても)目を閉じて今の空間や呼吸に集中してみる 心を静めたい時等、南無阿弥陀仏と心の中で唱えてみる 自分の考えに偏ったり、様々な執着を手放すように心に留める など、容易くはない事柄もありますが、今の私にできそうな、まだまだ小さな一歩ですが、この事を知らなかった、しなかった時に比べると心のありようが違うと感じています。 お坊様方にも私達質問者と内容は違えど、苦悩や葛藤が過去におありだったり、今尚、もたれている事もおありかとは思いますが、過去に迎えられた苦しみや葛藤の中、どういう心の動きがおありでしたでしょうか?(葛藤の内容については複数の方々が見られるかもしれませんので、省いて頂いて大丈夫です。) また、その時やその後、スッと心に入ってこられたり、感銘を受けられた仏教の教えや考え方が(仏教の教え以外の親、友人、恩師等からの言葉でも)おありでしたら、お教え願えますでしょうか? お時間をさいて頂く事になり、申し訳ありませんが、可能でしたら宜しくお願い致します。

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お坊さんの息抜きについて

初めまして。 以前何かのきっかけでこちらのHPを知り、時々拝見させて頂いておりました。 本日はお坊さんの息抜きについて教えて頂きたいと思いまして、ご質問させて頂きました。 私は幼少期より、何故か周りから常に相談を受ける側でした。 それは老若男女職業問わずでして、ここ数年では特に、初対面にも関わらず重たいご相談を頂く機会がとても増えております。 勿論、報酬は頂いておりません。 ここからは私の勝手なイメージですが、基本的にご相談者は怒りや悲しみ等の「黒いモヤ」のようなものを大量に抱えていらっしゃいます。 その方が話し始めると、その方の体から黒いモヤが放出され、それを私が吸い取る事でその方の黒いモヤが少しずつ薄くなり、ある程度黒いモヤが薄くなると、その方は最初の頃よりスッキリした良い顔色になります。 反面、その黒いモヤを吸った私はとても重たくなり、時にはその方の怒りや憎しみ悲しみと同調してしまい、涙が溢れてきたり、頭痛やめまいに襲われる事もあります。 ここ数年は皆さんの悩みが重く、なかなか自分だけでは処理しきれず、私自身が他人から受け取る黒いモヤのせいで悩まされる事があります。 私は仏に仕える身ではございませんし、ごく普通の一般OLです。 見た目は怖そうだと言われますし、多少押しても倒れなさそうで強そうだと言われる程の体躯ではあります。 精神的にも強そうだと言われますが、それは不平不満を言ったところでなるようにしかならないと思っており、怒りや悲しみを持っても仕方がないので、それなら楽しい事を考えようと、自分のご機嫌を自分で取っているからそのように見えるのだと思います。 その為、自分が生み出した黒いモヤというものは割と簡単に放り投げる事ができるのですが、相手から相談として受け取った黒いモヤは時々しつこく、神社やお寺に行ってお参りをしたり、綺麗な景色を見ても取れない場合があります。 そのような取れない黒いモヤのカスが蓄積されていくと私自身も疲れていき、段々どうにもできないイライラが貯まっていきます。 そこでお伺いしたいのが、お坊さん方の息抜きについてです。 ご相談を受けられる事が多いと思いますが、その後の自分のメンテナンスはどのように行っていらっしゃるのでしょうか? 相手から黒いモヤを受け取っても、自分で処理できれば問題は解決できると思い、相談させて頂きました。

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