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愛すると死別が怖いです

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私はとても愛情深く、感情豊かな性格です。

私には愛する家族とペットの犬がいます。

愛すれば愛するほど、いつかくる死別への恐怖心も出てきて泣いてしまうほど悲しくなります。

私が子供のときも良く両親が死ぬ夢などを見て泣いたりしていました。

今朝も、ペットの犬が死んだ夢を見て悲しみで泣いて起きました。夢から覚めても悲しかった。

自分が死ぬことに対しての恐怖心ではなく、愛する相手を失ってしまったら、、、失いたくないという恐怖心です。

例えば、愛する旦那の優しい目をみていると、失いたくない感情がこみあげ泣けてきます。

ペットの犬は老犬で数か月前に里親になり引き取った犬です。老犬であることから死別もわりと遠くはない事を覚悟して、(いつかくる死別の時の悲しみを軽減するため)心から愛さないようにしていましたが、私は愛情深い性格のため、無理でした。どんどん可愛がってしまって愛着が湧いています。

過去に訪ねた旅行先で出会った自然動物たちやきれいな海も、その地を離れる際に私は泣いていました。儚いものを見させてもらったという感覚になり、いつかは皆無くなってしまうんだなーと思ったら泣いてしまった。

いつかくるけどいつくるか分からない死別・喪失への恐怖心と悲しみが、相手を愛するほど込み上げてしまうのです。相手を愛せる瞬間だけに集中したい。涙するのはなんだかおかしいと自分で感じています。なにか心の持ちようや考え方を改善できるアドバイスいただけませんか?

よろしくお願いします。

2022年12月19日 22:31

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

これからもずっとご縁は続くのです

拝読させて頂きました。
あなたが大切な家族や人やペットやものごとといつか別れてしまうことがとても悲しく感じて辛いのですね。あなたがその様にお感じなさるお気持ちとてもわかる様に感じます。あなたのそのお気持ちを心よりお察しします。
あなたがその様にお感じなさるのはもっともかと思います。私達は誰しもが与えられた命や時間や人生がそれぞれにあるのです。そして必ずその天寿を全くする時を迎えることになります。それは事実ですし、真実です。
どんなに科学技術や医療が進歩していったとしても生きるものには寿命つまり与えられた時間があるのですし、様々なものごとや事象も一時も決して休むことなく常に移り変わり続けているのですからね。永遠に同じ状況や状態や思いであることというのは決してありません。それは遥か昔から未来に至るまで決して変わらぬ真理です。
ただ私達はなかなかその真実や真理を受け入れることできませんし、受け止めることは難しいのです。
ですがそれを無視して逆らっていくことは不可能ですし、かえって自分を追い込んでしまい苦しみのもとになってしまうのです。
あわてることではありません、ゆっくりと今生きていることや共にこの時を生きることを大切にしていくことが何より大切なことです。
そして私達はその天寿を全うしても必ず仏様や神様がお導きなさって下さり、先に往かれた親しい方々やご先祖様が優しく私達をお迎えなさって下さいます。
あなたと親しい家族やペットとも天寿を全うしても仏様や神様がお導き下さり、お引き合わせなさって下さいます。
ですからどうか安心なさって下さいね。
天寿を全うしても再び親しいものとは再会できますし、一緒に仏様や神様のもとで円満に何の憂いもなく成仏させて頂けるのですからぬ。
どうか安心なさって下さいね。
あなたと家族やペットや親しい方々やものごととのご縁はこれからもずっと続いていくのです。

あなたがこれからもずっと親しい方々とのご縁を大切になさりながら、お互いを思いやり何でも分かち合い、安心なさって一緒に心から幸せに生き抜いていかれます様にと切に祈ってます。そしてあなたや皆さんを心から応援させて頂きます。

2022年12月20日 12:54
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有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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質問者からのお礼

心がホッと、一息つけたようなご回答をいただきました。お祈り又、応援してくださって優しい温かい気持ちになりました。心からお礼を申し上げます。有難う御座います!

ゆっくり焦らなくていいんだ、何故か気持ちと心が焦っていたような、先走ろうとしていた事に気付きました。

深呼吸や、一息つくということをもっと日常に組み入れて毎日を一生懸命感謝しながら生きていきます。

ありがとうございました!

「死について」問答一覧

死別シングルマザー

夫と死別し、半年経ちました。 死後の手続きなどでバタバタと、忙しくしていましたが、この頃PTSDの症状がでて、とうとう仕事にいくこともできなくなりました。 一ヶ月の休職ですが、休んでる間に収入の不安、子どもたちのこと…色々と考え過ぎてよけいに具合が悪くなっている気がします。 職場からは、また笑顔で戻ってくることを待ってますと温かい言葉を掛けてもらっているのですが、夫を看取った病院が職場の直ぐ側であることや、救急車が頻繁に通ることなどから、正直一ヶ月休んだところで復帰する元気があるかわかりません。何も前に進めない自分に自己嫌悪の毎日です。お金の不安と、パートナーを失くしたことから『風俗』で働いて少しでもお金を…と浅はかな考えも拭えません。時間が長く感じます。こんな姿を夫が見たらなんて思うだろう。夫じゃなくて、不器用な私が先に亡くなればよかったのにとまで考え込んでしまいます。周りには自分のように30代で配偶者を亡くした人はおらず、まるで腫れ物のように感じます。他の家庭を見ると、赤ちゃんが生まれた…家を建てる…夫婦仲良く子育てできてて自分にないものばかり目に映り、生きづらいです。

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「周りの人間の死」への向き合い方

「周りの人間の死」への向き合い方が分からず、恐らく変な方向に価値観が向かってしまい、常に一定の苦しみを抱えてしまっています。 無理やり挙げるとすれば、恐らく一番大きなきっかけは、2年前に母の母である祖母が急死されたことだと思います。大きな病気やケガもなく元気に畑で過ごしていた祖母の急死に頭が追い付かず、又様々な状況を理由にしばらく会えなかったことや、恩返しなども出来なかったと感じたことによる後悔と主に、「人は急に死ぬこともある」といった至極当然のことに恐怖を覚える様になりました。 その"急死"は脳内で"事故死"等に変換されたようで、現在は「自分が何か人に頼むことで事故死するかも」といった恐怖をもってしまっています。私が親に頼んだ買い物の道中で死ぬかも、私が選んだ待合場所のせいで、指定した時間のせいで友人が死ぬかも、と思うと、所謂"普通の価値観"で人に頼る事、あまつさえ意見や提案事の提示も難しくなってしまいました。 正直自分の死は大して怖くはありません。ただ、もしそういった状況で知人が亡くなってしまえば、仮に明らかに自分のせいではなくとも「自分がこの人を殺した」と思ってしまうに違いないと感じています。又そういった気持ちを抱えてその後の人生を全うできるとは到底思えません。 バタフライエフェクトのレベルで「人の死に関与したくない」といった気持ちが大きくなってしまい、生き苦しさを感じてしまっています。 この価値観が、俗にいう「変・ずれている・間違っている・過剰」ということは頭では理解できているつもりです。ただ、どうにも心がこういった考えを除いてくれません。 もし仏教などを用いて少しでも楽に生きることが出来るのであれば、と思い、相談させていただいている次第であります。ご意見をお伺いできますと幸いです。よろしくお願いいたします。

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病気になって死を考えるようになった

現在,一人暮らしをしている中年男性です。 先日から病気をしています。病気になって,一人暮らしなので,闘病しながら食事,洗濯の家事をしないといけません。また,食事のための買い出しも必要で,誰か助けてくれないかと,常に考えています。 知り合いに食事を作って持ってきてください,といった厚かましいお願いはできないもので,そういったお願いができる知り合いがいるわけではありません。 闘病を続けながら,食欲もなく,痩せていくし,気力も失ってきています。 また,コロナ禍で,一人亡くなっていった方もこのようなつらい状況であっただろうと想像し,そのため可能であれば入院させていただいて,看病していただけないかと,勝手な思いが巡ります。 そして,こんなに苦しい状況なのに,これを乗り越えて「生きる理由」はあるのだろうかという考えが頭をよぎっています。 ある程度の人生は送ってきました。これから先もいろいろと楽しみもあると思いますが,生老病死は,四苦なので,病気を克服するのも,その後,克服した後に生きていくのも苦しいのだろうと,勝手に解釈をしたりします。 だったら,もうここでいいや,と思ったときは,死ぬことができたらいいなぁ,眠るときにこのまま目覚めなければいいな,と考えるようになっています。 自死については,以前は否定的ではありましたが,闘病の中で,それは個人個人の自由でいいのではないかと思うようになりました。 自死していった方は,苦しい中,生きることに耐えられなかったのだろうなと,共感できる心持になっています。 病気をして,手厚く看病してくれる人がいる状況であれば,それはそれで,心配してくれる人のために生きる理由があっていいのですが,そうでない私は,一人で非常に苦しい,不安です。そんな私が,命尽きるまで闘病するかもしれないという選択をして,生きる理由はなんでしょうか。 誰も助けてくれる人もいない,ただ病気と闘って,死を待つだけかもしれない。 最後は,一人,孤独死を迎えるのかもしれないと思うと,寂しく,不安です。 そういった中で,このサイトに行き当たりました。 取り留めない文章になりました。 回答をいただければ幸いです。

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死んではいけない理由を教えてください

駄文につき失礼致します。 私は大学生です。 様々なストレスが重なりうつ病を発症しました。目下治療中です。 薬を飲み始めてからは落ち着きましたが、昔は希死念慮がよくありました。漠然と死んでしまいたいと思うことがよくありました。 投薬による治療や、様々な死生観等に関する書籍を読むうちに次のような価値観が形成されました。 死んでしまっては選択肢がなくなる。 生きているうちは選択肢が無数にある。 生きる事に行き詰まって選択肢がなくなってしまったと思ったら、死ぬことを考えよう。 これは今私が生きている理由の一つですが、この考えは一見生きることに前向きなようで死ぬことを否定していないのです。 言い換えれば、いつでも死ねると言う風にも捉えられます。 私は今のところ死ぬことは勿体無いと考え自殺を踏みとどまっていますが、自殺を否定する理由は未だに見つけられていません。 生きている限りいつかは死が訪れるものであり、やがては受け入れなくてはいけないものだと考えていますが、自ら死に近づく行為はいけない事なのでしょうか? 確かに、人が皆自殺を礼讃するようになれば人間社会は成り立たなくなってしまいます。 しかしながら生きることが権利ならば死ぬこともまた同様なのではないかとも考えてしまいます。 どなたかお力添え頂ければ幸いです。

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