大切な人を信頼できない
現在付き合って4年になる彼氏がいます。
過去に1度だけ、嘘をつかれ、女性と遊びに行かれた事が原因でちょっとした事で疑ってしまいます。
ただ、現在の彼のみならず、毎回誰かと深い関係になると、その人の少しの嘘や裏切り(主に女性関係)に敏感に反応してしまい、その後まったく相手を信用できず、結局別れる…との行動を何度も繰り返してしまいます。
少しも嘘をつかない人間なんていないですし、
実際私だって生きていれば嘘をつく場面なんていくらでもあります。
分かっているんです。
なのに、毎回毎回相手の小さな嘘や裏切りに激しく傷つき、「許そう」と思いながらも、結局許せず、信用出来ず関係を自ら壊してしまうのです。
本当は人をもっと、特に大切な相手ならなおさら信用したいんです。
どうすれば、小さな嘘や裏切りを許せるような広い心を持てるのでしょうか?
よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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ぜひ、彼と話合いの時間をお取り下さい…
『どうしたら小さな嘘や裏切りを許せるような広い心を持てますか?』…難しい問いですね。なぜなら私自身がそのような広い心の持ち主ではないからです。
もちろん小さな嘘はこの世にたくさん存在します。相手を思えば本当のことを言わない方が良いと判断することだって私にはあります。
ただ嘘の内容によりますよね。
『1度だけ嘘をつかれ、女性と遊びに行かれた事がある』ということですが、ある程度長く深くお付き合いをしている彼が、他の女性とあなたに黙って遊びに行く…それは小さな嘘ではない様に感じます。
『大切な相手なら、なおさら信用したい』…お気持ちはお察し致しますが、あなたを信用させるのはお相手の言動に他なりません。信用したいという気持ちに沿うか、裏切るかはお相手次第なのです。
釈尊は「ただ自分のしたことと、しなかったことだけを見よ。…自己は自分の寄る辺(べ)である。ゆえに自分を調えよ」とおっしゃっています。
正にその通りです。そうすれば相手の言動に惑わされることもありません。
でも、できますか…相手の言動に振り回されずに、自らを調え生きていく。これはもうさとりの世界です。
相手の言動に一喜一憂し、喜びと涙の中で生きていくしかない…これが人間世界の偽らざる有り様です。
一喜一憂であれば良いのです…「一喜」あれば良いのです…彼との間に「一喜」はありますか。…ならば大丈夫です。
どうか、彼とよく話合いをなされ、良きお付き合いを続けていかれますように…。