神に関する悩みで辛い。どうしたら?
6年以上前にヒルティの幸福論という世界的名著の本を読んで感銘を受けました。只その中には、科学的でない事、非論理的な事も書いてありました。神を信ずる気持ちが高まった私はそれを信じてしまいました。書物や人との出会いは神の導き、といった様な事を。
当時出会って、神が遣わした結婚すべき人、と思った女性と結婚しましたが、私のタイプの方では無かったので、苦しくなり、1年で離婚。彼女が号泣するのを見て胸が張り裂けそうでした。私が自分の希望は無視して離婚を我慢していたら、彼女は悲しい思いをしなくて済んだかもしれない、苦しみに耐えきれず離婚した私は神に逆らったのかも知れない、と思うようになりました。神に逆らう様な離婚、という事をしたから、彼女は嘆き悲しんだし、自分も辛い思いをするのかと。
辛いので、神に祈ろうとするけど、祈れなくなりました。内心では、神よあんたのせいで、彼女を地獄に突き落として、私も苦しんでる、どうしてくれんの?と思っています。神を信じられなくなりました。教会も行くと辛いので全く行っていません。
でも神に救いを求めています、どうしたら良いのでしょうか?キリスト教の神父さんにも相談しましたが、解決出来ないので、質問しました。どうぞよろしくお願いします。
お坊さんからの回答 2件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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神を頼りながらも、自分の歩む道は、自分の責任で
神への救いで行動をしても、相手のことは見れていなかったのではないでしょうか。
結婚は、相手あってのことです。神のお導きでも、互いに相手を想いやれなかったら、関係は終わってしまいますよね。
あなたは、神のお導きであったにも関わらず、タイプではなかったと、相手を受け入れていけなかった。彼女が号泣するのを見て胸が張り裂けそうでしたとありますが、あなたの決断でそうさせてしまったのですし、あなたは 彼女と夫婦であることが苦しみに耐えきれないほどだったのでしょ。
本当に神のお導きだったのか。お導きにより得られた縁なのに、神にばかり頼り、夫婦関係を大切に育むという努力を怠った結果だったのではないでしょうか。
神父さんが、解決できないとおっしゃったのは、「神ではなく、あなたの問題」という意味だったのではないでしょうか。
あなたも、傷つかれたことと思いますが。神を頼りながらも、自分の歩む道は、自分の責任で、手にしていきましょう。その先に、幸せがあるのだと思いますよ。
神様を信じられたのはどうしてかというと
こんばんは。もう同じことの繰り返しですみませんが、神様とヒルティとあなたの問題ですよね。「ヒルティが書いていたことは誤りだったが、それを鵜呑みにしたので彼女もわたしも辛い」という趣旨と受け取りました。
あなたが「神様は〜である」という話を受け入れたのは、あなたに欠点や誤りや弱さや無知があるからですよね。そこを「信じる」という行為で補おうとした。
その「自分の不十分さを自覚」した姿が、今のあなたからは感じられません。「俺は被害者だ=悪くない」って。
だからわたしから見ると「自らの至らなさを棚上げするための神様」にしている。彼女と貴方が幸せになるかは、二人の努力次第、縁を紡いでいく結果であると受け入れられませんか?「神様が選んだ2人が結婚する」なんて、しばらく前に流行った何とか結婚式じゃありませんか。
けど仏教的には…誰に勧められたとしても、誰に選ばれたとしても、結局幸せになれるか否かは本人次第。一緒になった時点では未定なのです。一年間一緒に過ごしたというのに、あなたが「そもそもタイプじゃなかった」「結婚したのは神様のせい」と言い続けたのでは、嫌になられても仕方なくないですか?「私が一年間してきたことは何の結果にも繋がらなかったの?」って。目の前の人でなく、一年前の自分に固執していたのが、いまの原因じゃないでしょうかね。
質問者からのお礼
佐藤先生
ありがとうございました。
中田先生
回答ありがとうございます。はい、神にばかり頼るのでは無く、結婚前に、自分でも良く考えて見る事が大事だったと思います。結婚してからは、好きになろうと、神に祈ったり、フロムの愛の技術とかも読みましたが、自分の好みの問題なので、どうしても惚れる事は出来ず、、彼女が悲しむと分かっていたけど、別れを切り出しました。本当に辛い経験でした、彼女もそうだと思います。
神を本当に信じている時に、人との出会いは神の導き、とか書いてる本は罪深いと思います。私が良く判断出来て居なかったのは確かですが、ヒルティの幸福論とかも、良くないと思いました。神父さんはキリスト教側の人間なので、キリスト教を否定する様な事は言われませんが、私は誤ったキリスト教もあると思っています。