子供が亡くなって、節目の迎え方
以前にご相談して、あたたかいお言葉を住職様から頂きました。ありがとうございました。
子供が16歳で自分から命を放りだしてから、四年をむかえます。
誕生日や、法要、命日、節目を迎えてきました。
この四年間は子の死に正面から向き合えませんでした。自分が落ち込むと、家の中が不穏不安定になり、家族が更に落ちていくことを経験しましたので、
なるべく普段通りにすることを心がけ、自分の気持ちを優先せずに亡くなった子供のことは少し距離を置きながら
四年間を生きてきました。家では笑顔で過ごすことや仕事も明るくやってきましたが、それが他人には奇妙に見えたようで、それを陰口や直に言われることもありました。それでも他人には関係ないと割りきってきました。
ただ節目に節目になると、どうにも涙が出て心がコントロールができず。
子供の友達がお墓参りや自宅によく手を合わせにきてくれるのですが、最初はとても有り難かったのですが、それが時と共にとても辛くなってきたのです。
今度成人式があり、もし子供の同級生が来ることがあったら、手を合わせに来てくれてありがとうと感謝しますが、
心が耐えられるかわかりません。
私は本当に自分勝手で酷い親だと思います。有り難いと思う気持ちよりも、同級生の中に子供がいない寂しさで、どうしても受け入れられずにいます。
月日が経てば経つほど、この気持ちが強くなってきたので、自分の中でどうしたらよいのか、わからなくなってきました。
御住職様は、どのようにお考えになりますでしょうか。乱文で申し訳ありません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
泣きたい時は我慢しないで。笑顔になれなくてもいいのよ
今までの質問も読ませてもらいました。
今を生きるということや、家族や周りを想うことを優先にしながら、この4年間を生きてこられたのですね。そうして、あなた自身も、バランスを保ってこられたのですね。
それが、どれほど大変なことだったのだろうか。バランスを保つために、息子さんの死と向き合うことに蓋をしてきたのですよね。自分が取り乱してはいけないと。必死で笑顔を作り、仕事も社会生活も、頑張って振る舞ってきたのですよね。
母親だもの。笑顔でいることが、どれほど辛かったことか。苦しかったことか。わが子の死と向き合えないほど、悲しく苦しいことはないですよね。
本当は、周りなんて気にせず、自分の気持ちのままに、息子さんを想っていたいでしょ。名前を呼んであげたい。抱きしめてあげたい。会いたくて会いたくて、堪らないでしょう。息子さんが一人で泣いているんじゃないかと思うと、そばにいってやりたい気持ちにもなりますよね。
亡くなった人は帰ってこない。だから、前を向かなきゃって、必死で堪えてきたのではないですか。死を見ないように、我慢してきたのではないですか。
しんどかったでしょう。苦しかったですよね。自分を責めてきたのではないですか。あなたの想いのままに、向き合える場所があってほしいわ。
私もね、思いきり泣きたくなる日があります。思い出の日は堪らなくなります。私にとって特別な人であり、特別な日はちゃんと自分の気持ちを大事にしたい。ちゃんと、亡き人に届けたいのです。
あなたも、そうではありませんか。
お仏壇のある場所や、縁ある日は、気持ちもグッと亡き人に寄せていいのですよ。お参りは、そんな時間なのです。(私も参りながら、大切にお気持ちを聞かせてもらっています。それがグリーフケアでもあるのです)
あなたは酷い親じゃない。それは自然な感情です。息子さんの同級生だもの。なぜここに あの子がいないの?生きていたらこんなに大きくなって、一緒に過ごして笑ってくれていたのだろうかと、息子さんと重ね合わせますから、そりゃ複雑な気持ちになりますよ。堪らないですよ。なぜって、泣き叫びたくなりますよ。親だもの。そばにいてほしかったって、強く願ってしまうわ。
どうか泣きたい時は我慢しないで。
笑顔になれない時は無理をしないで。
あなたの気持ちのままに、私はそばにいてあげたい。
いつでも話しましょう。
質問者からのお礼
中田御住職様、あたたかいお言葉を頂きましてお礼申し上げます。
御住職様のお言葉で、自分の胸の内が少しほどけたような気持ちです。
もう亡くなった息子とは会話ができず、思いも一方通行なので、ずっと前だけをみて今に至りましたが、
御住職様のお話を読ませていただいて
後ろを振り返ることができました。
この四年間で、様々な気付きや、人の本心、あたたかさ、冷たさ、を身に染みて感じました。
御住職様のお話を読んだあとに残った
私の本心は、息子がいない現実が四年たっても変わらずに、会いたい、ごめんね、もっと話をしたかったねっていうことでした。
少しずつですが、向き合って生きていこうと思います。
ありがとうございました。感謝いたします。