過ちを自覚してからの生き方
沢山の間違いをしてきたことに気付き、とてつもない罪悪感に押しつぶされそうです。
私は今まで、自分は常識的で正義感のある人間だと思いこんでいました。
人に「それはおかしいのではないか?」と指摘されても、理屈を並べて「私はおかしくない」と言い張ってきました。
お恥ずかしい話ですが、二十代後半でやっと、自分は感性が幼く、強欲で、常識がない人間だということを自覚し始めてきました。
沢山人の悪口を言ったり、得をしたいという短絡的な思考で卑怯なことや非常識なことをしてきました。
また、自慢のために自分の行いを友人に言いふらしたり、「あなたにも得させてあげる」と善意のつもりで非常識な行動に人を巻き込もうとしたりしました。
今まで関わってきた人達に多大な迷惑をかけたり、自分の無知さや非常識な振る舞いを晒してきたりしたのだと思うと申し訳なく、また、自分が恥ずかしくて仕方ありません。
間違いだらけの人生だったと思います。
私をよく思わない人が沢山いたと思いますし、実際良くないことばかりしていました。
もっと早く自分の愚かさに気付けばよかったと後悔が止まりません。
これからの長い人生、せめてよい行いをして償っていきたいと考えましたが、自分の価値観に自信が持てずまた人に迷惑をかけてしまうのではないかと思ってしまいます。
これからどのように生きていけば良いのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
新しい視野や正しいものの見方を教えてくれるのは、外からの刺激
そうですか、大事な気づきですね。
大人になればなるほど、自分の愚かさや醜さを、認めづらくなるものです。くだらないプライドが邪魔をしてね。でも、自分が生きてきて、見てきた世界は、ほんの一部なんだよね〜。(もちろん私もね)
新しい視野や正しいものの見方を教えてくれるのは、いつだって、外からの刺激なのですよね。
価値観だって、自分で作り上げて正しいと思い込み、それ以外に優劣や上下や損得をつける。
周りの指摘に聞く耳を持てなかったのは、なんと残念でもったいないことをしていたのか。未熟だったよね。
だから、他人の良さを見ていける人になりましょう。どんな人にも、素晴らしい部分があります。自分には無いものを持っています。学ばせてもらいましょう。
あなたにとって、素晴らしい人、尊敬できる人を観察してみましょう。良き刺激をいっぱいもらってください。そんな人の周りには、人が集まります。そして、得たものを自分の成長にしていきましょう。周りの人に対する接し方が違ってきますよ。
実るほど頭を垂れる稲穂かな。
謙虚でありたいですね。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございました。
振り返ると、自分の快、不快についてばかり考えて周りの人のことを見ていなかったと思います。
他人の感情に向き合うことを恐れて、指摘やお叱りの言葉も茶化してまともに受け取ろうとしてきませんでした。
これからは人の言葉を素直に受け取り、反省して成長していけたらと思います。