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事故や災害で亡くなった人の遺族について

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災害や大事故の遺族はなぜあんなに故人に執着するのかとふと疑問に感じました。あの様子だと故人は成仏するどころか、遺族を見たら浮遊霊や呪縛霊にならないか心配になりました。

私は死を受け入れ、故人に手を合わすことで、時と共に故人がいなくなった悲しみが癒え、苦しみが和らぎ、故人との思い出が刻まれるものと思っています。私は10年前にガンで母を亡くしているので体感的にそう感じます。しかし、遺族を見てると様子が違う気がします。

確かにある日突然、大切な人が亡くなったという悔しさ、悲しさなど色々な感情が複雑に起こってくるのはわかります。でも、ある日突然…ということであれば交通事故、心筋梗塞、脳梗塞も災害や大事故と同様、瞬間的にもしくは数時間で死へ向かうという状況は遺族にとっては同じだと思うんです。

私は阪神淡路大震災の時は14歳で尼崎で被災しました。今年防災センターへ行き、尼崎と神戸では全く状況が違ったこと改めて理解しました。その後1.17の集いの会場にも行きました。尼崎と神戸は被害状況違ったと言われたらそれまでですが、追悼、鎮魂のために祈る人が穏やかに時を過ごすのと同時に執着、執念そういうものも感じました。そして、福知山脱線事故の時と同じ感じがしました。この事故の時は家で掃除してました。13時にテレビつけたら特番流れてて「え?これ何?プラレール?(電車模型のおもちゃ)」って思うほど状況把握できない映像が流れてました。私は現場とは一駅違いです。救急車の音がずっとしていたのを覚えてるし、ニュースで死者数がどんどん更新される怖さを覚えてます。そしてあのマンションが保管されると尼崎なり、JRが結論出した時は驚きました。もう見たくないという遺族、マンションや地域住民もいたのに保存派が粘り勝ちしました。これに関してはJRの初期対応の悪さなど遺族感情を逆撫でするようなことがあったので遺族が怒りをあらわにしたのもわかるのですがニュース見てたら故人追悼よりもやり場のない怒りの矛先を故人を盾にどこかにぶつけているようにさえ感じました。

当事者しかわからないことがあるのはよくわかってますが、こういう状況って故人は安心して成仏できるのだろうか、また追悼施設や追悼会場があることで成仏できない霊が集まって余計に成仏できないとなると本末転倒です。

お坊様や和尚様ならどう考えるか教えてください。

2023年1月27日 17:26

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

それぞれに死別体験は特別なものですので、比較も出来ない

あなたの考えや捉え方も一つの向き合い方だろうと思います。そうして、亡き人を大切に想ってこられたのですね。

私は、日頃、グリーフケアに携わり、ご遺族と接しています。グリーフとは、大切なもの、大切な人を、失ったときに起こる深い悲しみのことであり、そのことによって様々な反応が起きます。執着からくるものでもありますね。

あなたがおっしゃることは、死因の状況により、特に災害や事故による死別には特別なやりきれない想いが強く、これでは亡き人が成仏できなくなるのではとの心配ですよね。

私が言えることは、どんな死でも、ご遺族の置かれている状況によりグリーフは必ず起きますし、その悲嘆の差は比べられるものではないということ。また、事件や災害などで行方不明になり、生きているのか死んでいるのかもわからない、見つからない、ご遺体にも会えない、報道により好奇の目にさらされ、偏見や差別が起きたり、この苦しみは計り知れないことだろうと思います。こういった状況が起きているであろうことも理解せねばなりません。人災であれば、やり場のない怒りが起きるのは当然のことであり、ぶつけることでしか生きていけない人もいるのです。死を受け入れられず、手を合わせることすら苦しくて、時間が癒すという世間の結論に、そうなれない自分はダメなのではないかと追い込まれ苦しむ人もいるのです。そんな苦悩を私は聞いてきましたし、サポートをし続けています。

時と共に悲しみが癒え、苦しみが和らぎ、故人との思い出が刻まれるということは、あなたが死と向き合う中で越えていかれたものですね。
みんなが皆、そうではなく、それぞれに死別体験は特別なものですので、比較も出来ないものなのです。

あなたが心配される、成仏ができないのではというのは、手を合わせてこそ亡き人が成仏するとの理解かと思いますが。成仏は、仏様のおはたらきです。どんな状況であれ、遺されたものが向き合えなくても、手を合わせられなくても、死を受け入れられなくても、仏様はいのちを救いとってくださるのです。

ご遺族のどんな想いも、また行きつ戻りつする感情も、そのままに、私は聞かせてもらいながら共に生きていけたらと思っています。そこに仏様のお救いも届いていくでしょう。

多くのご遺族や故人さまを気にかけてくださり、ありがとうございます。

合掌

2023年1月27日 18:56
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有り難し
おきもち

はじめまして(*^^*) 中田みえです。 教善寺 住職として、母親として...
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質問者からのお礼

回答ありがとうございます。
何回も読んで考えたんですが「こういった状況が起きているであろうことも理解せねばなりません。」という言葉が気になったので、一言誤解がない様に加筆させてください。

私は災害や事故遺族の執着する気持ちや苦しみを批判しているつもりはありません。事件や災害などで行方不明になり、生きているのか死んでいるのかもわからない、見つからない、ご遺体にも会えないことは落としどころがない苦しみを抱え続けることになります。報道により好奇の目にさらされ、偏見や差別が起きたりなどがあることは東日本の時、特に感じました。死別体験には個人差があることも理解してます。同じ人を亡くした家族内でも受け止め方が違うのに他人との死別体験は比べられませんから。

成仏は、仏様のおはたらきで、いのちを救いとってくださるとのことですが、それなら呪縛霊や浮遊霊といった話や枕元に故人が立つようなこともないだろうし、事故現場や災害現場が異様な雰囲気になることもなく、穏やかな場所になると思うんです。

執着、怒りは新たなる執着や怒りしか生まないような気がします。手を合わせることの意味は故人に対してもだけど、自分の心を鎮めるためだと私は聞いたことがあります。仏様が故人を成仏へ導いたなら、故人の心も鎮めてくれないものなのかと思いました。なので逆に言えば遺族の心が鎮まらない間は成仏できないのではないかと思いました。

どんな形であれ、遺族が執着や苦しみから開放されて心穏やかに過ごせる日が来ることを願います。

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