今後の親との向き合い方
大人になってから、両親のことが嫌いになりました。
私は幼少期から、あまり親に褒められたことがありません。
「あなたは人の3倍努力して1人前なんだ」
「小学校のテストで100点は当たり前」
「こんな成績でいい高校大学なんていけないでしょ」
そして、子供として、親に反抗したい時があると思います。
その時に時より出てきたのが、
「誰のおかげで飯食えてると思ってるんだ!」という言葉です。
上記のようなことから、私は親が望む子供になれるように頑張りました。
親が喜ぶよう、家の手伝いなども積極的にしました。
結果、勉強は苦手だったので人並みになるので精一杯でしたが、家の手伝いなどをすることによって、家族の中の立ち位置を保っていたと思います。
けれども、それも全てが上手くいく訳ではなく、上手くいかなった時、責められることが辛かったです。
私は仕事ではなく、ただ家族のために頑張ったのに…やっぱり、使い物にならない私はここに必要ないのかな…と……
私は、親が望む大人になれませんでした。
親は、いい大学を出て、大手企業か公務員になって、家族を旅行に連れて行けるようなお父さんになって欲しいと言っていました。
ところが、私は、性別適合手術を受けて女性となり、就活では上手くいかず普通の会社に、そして終いにはタイの会社に転職しました。
性別適合手術、タイへの転職ともに、両親は大反対でした。
しかし、誰にも私の人生を縛られたくないという反発心もあり、2つとも自分の意思で行いました。
今、タイに来て約3ヶ月です。
親元を離れ、冷静に考えた時、上記のことで悲しみや恨みを感じてしまいます。
甘やかして欲しかった訳では無い、ただ、どんなにダメな私でも無条件に愛して欲しかった、私のやりたいことを応援して欲しかった、ハグしたり甘えたかった…
タイに来て、実家に帰る夢を見ました。ケンカをして、タイに帰りたがっている私がいました。
実家や両親の顔を思い出すと、1種の恐怖を覚えてしまいます。
両親なりに一生懸命育ててきてくれたことは理解しています。
でも、私はそれを受け止められなかった…。
まとまりがない文章で恐縮です。
今の気持ちを全て吐き出してみました。
どうかよろしくお願い致します。
私は男としてこの世に命を授かりましたが、自身が女性であることを確信し、性別適合手術によって女性として生きています。
自己肯定感が低く、他人の成功、持っているものに嫉妬し、落ち込んでしまいます。 自分には無いものばかりだと、そのように落ち込んでしまいます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
新しい人生を選んだのです。どうぞ精一杯生き抜いて下さい…
ご相談内容拝見して…もう泣けてきました。私の正直な気持ちです。
あなたはあなたで精一杯生きていらっしゃる。たとえ親であってもあなたの行動を、人生を否定する権利はありません。元より、否定される筋合いなど無いのです。
でも『実家に帰る夢を見ました。ケンカをして、タイに帰りたがっている私』なんですよね。そのお気持ちも本当に良く分かります…。
親に誉められる良い子供でいたい…子供は皆そうです。
また親は親で「この子のことを思えば、この子の将来を考えれば…言わねばならない。心を鬼にしても…」と思うものです。
どちらも悪意があるわけで無く、お互いを思い合っているにも関わらず、すれ違い、憎しみさえも生じていく…。
これが人間です。
『凡夫親子はお(合)うたなうそよ。うその証拠に腹を立てるぞ』…浄土真宗の篤信者がかつて語った言葉です。悲しいながら頷かざるを得ません。
親子であっても、完全にわかり合うことは出来ません…それぞれが個々の独立した存在だからです。
あなたには今後、帰国をしてご両親とわかり合える日がやってくるかも知れません。そうなることを心より願っています。
でも、もしそうならなくても…皆がさとりの仏と成らせていただけるのですから、必ず浄土の世界で仏と生まれて家族皆が互いが互いを思い合い、相和(あいわ)して暮らさせて頂くことができます。このことを、そのまましっかりと受け止めて下さい…。
いずれにしても、あなたのことを仏様はしっかりとご覧になってくださっています。そしていつも御一緒下さっています。あなたの苦悩を仏様も背負って下さっているのです。
なぜなら、あなたは尊い「仏様の一人子(ひとりご)」であるからです。
異国の地で生きることはいろいろと大変でしょうが、でもあなたは御自身の意志で新しい人生を歩み始めたのです。今後をどう生きるか…全てはあなた次第です。
一人の人間として、心よりあなたのご多幸を念じ上げております。
質問者からのお礼
お礼が遅くなりまして申し訳ございません。
ありがたいお言葉、ありがとうございました。
小林様はきっと、現実世界、ハスノハなどにおいて様々な人とお会いされ、色んなお話をお聞きになっていると思いますが…
そんな方からお涙を頂戴することになると、正直驚きました…
そのような環境で頑張ってる私、凄いよね、と、自分で自分を励ましていいのかな…
別の質問にて、いわゆる普通と言われる人生を生きられない苦しみをさせていただきました。
諦めること、折り合いをつけることが生きるということなのかな、と思っています。
願いは全て叶わない。
叶わない願いは諦める、折り合いを付ける、叶えられる夢のために生きていく。
生きることは修行に近いものなのでしょうかね……