表の自分と裏の自分。
私は人前では明るくフレンドリーなキャラでいます。人と話しているときは、楽しいと感じ、話をしたり、相手によってはいじられキャラとなり、人を笑わせることもあります。
その反面でとてもネガティヴな感情に陥ることがあります。
実は人見知りで、できれば他人と話したくないと思う自分がいるのです。
私は学生時代は一匹狼で、所謂、「仲良しグループ」に入ることもなく、またそれを苦だとも思わずに過ごしてきました。
現在は、1人の大人として、コミュニケーションや業務を円滑にするために、あえて明るく過ごしているのですが、それは結局のところ、ピエロで、無理をしているのではないかと感じるのです。
明るく振舞ったあと、フレンドリーに話をしたことで誰かを傷つけてしまったのではないかと1人で落ち込んだり後悔することもあります。
このままこの明るくフレンドリーなピエロを貫くべきなのか、そうではない自分でいる方が楽なのか、わからなくなってしまいました。
社会人としては明るく振る舞うことが正解だけれど、無理して演じることもないように思います。
何も話さなければ誰も傷つかないとも思います。
しかし、いきなり態度を変えるのも抵抗があります。
まとまっていなくて申し訳ないのですが、
どのようにすれば、自然に表向き自分と裏の自分、2つのバランスをとることができるのか、またそれ以外のアドバイスがありましたら、どうかお導きをお願いいたします。
お坊さんからの回答 1件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
どれもあなたです
「これが自分!」というキャラをみんな置いてますが、実際はそんなことないんですよ。
仏教に「一念三千」て言葉があります。
(少し使い方は違うのですが)自分の中に三千ものキャラクターがいるんです。
中には明るいキャラもいれば、暗いキャラもいます。
その登場の度合いはそれぞれです。
よく登場する者もいれば、たまーにしか出てこない者もいます。
そして、人生経験をますほどに色々なキャラクターの出し入れがうまくなるんです(^_^)
「こんにちは」って言えますよね?
元気よくも、根暗そうにも、怒っているようにも、悲しそうにも言えませんか?
それくらいパッと使い分けできるんですよ。
だから悩む必要はありません!
むしろ、さらにうまく使い分けれるようになりましょう(^o^)
質問者からのお礼
日顕様
三千ものキャラクターを人生経験によってコントロールができるというお話誠にありがとうございます。
自分のキャラクターを1つに決めるなんてもったいない、その時々、相手によって使いこなせる人になれるよう、精進して参ります。
本当にありがとうございました。